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ガラパゴス・ネットスラング=「関数型ポエム」という呪詛、先入観的読書と、フェアなレビューの登場

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10年先を行く斬新な関数型(FRP)データベースについて説明する 99%のプログラマがIQ145のJKに「ダサい」と言われてしまう理由とは?【その3】

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LISPデータ構造の問題点の指摘と抜本的解法としての新プログラミング言語の策定/純粋関数型言語「SPINOZA」

著書『関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高生の先輩から受けた特訓5日間』 [Day1]たち読み記事 無料公開中

『関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高生の先輩から受けた特訓5日間』を大変多くの方々にお買い求めいただき、感謝します。本書の全目次を公開し、質問を受け付けます。

2015年5月8日金曜日

『関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 』の著者として、『数学ガール』の著者である結城 浩氏に申し上げます。本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。

続編というか補足解説:99%のプログラマがIQ145のJKに「ダサい」と言われてしまう理由とは?【その1】「計算機科学のほんとうの基礎」を理解していない。IQ145のJKと同じ事を語るMITの権威とSICPという聖典の権威を借りてマインドコントロールを解いてみよう

『数学ガール』の著者である結城 浩氏に申し上げます。

関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間』の著者として、『数学ガール』の著者である結城 浩氏に申し上げます。

私は、『数学ガール』を拝読したこともございませんし、貴殿のことも良く存じ上げません。そして貴殿による一方的なTwitterをはじめとする言動に甚だ迷惑しております。

責任ある執筆者、言論人として、書評行為はご自由になさってください。
そして、その場合は責任ある執筆者、言論人として最低水準の矜持、作法を期待します。
書評行為は、対象書籍を読了のもと、書籍名、著者名を明示して、きちんと行ってください。今更私がここで言うまでもない至極当たり前のことです。

本書は、IQなんとかの本、ではありません。
『関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 』という書籍名です。もちろん、長いタイトルですが、少なくとも、「岡部」という著者名を出されて特定的に言及するのであれば、IQなんとかの本、という物言いはあまりにも無礼なのではありませんか?
もちろん、そのように書き捨てることで、ご自分は読んだこともない、と示唆、軽視していることを示威されたかったのでしょう。軽視しているわりには延々と書かれておられますが。
内容の是非が判断できない事はともかくとして、読んでもおられない。
ならば、それはまっとうな書評行為ではありえないですし、私の大切な著書と、大切な読者を足蹴にするような「無責任な論評」はされないでください。

貴方の勝手な都合で、本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。
一定の期間に渡り長々と本書を「論評」されておられますが、書評でもない、読んでも居ない、関数型プログラミングに詳しくもない、と繰り返しながらも、明らかに当方や本書を毀損する内容の言説を展開されておられますね?非常に不快ですし迷惑に感じています。
もちろん、私も執筆者の端くれであり、まっとうな「書評」なら、それがなんであれ(嘘を書いているのでない限り)、有り難く頂戴することも出来るでしょう。しかし、貴方がやっておられることは、「書評」行為では断じてありません。延々とネガティブキャンペーンに乗じて、この機に乗じようとばかりに、ご自身のブランディング、ご自分の著書の宣伝に、ただただ利用しようというか悪用されるのは、当事者であると同時に、一言論者として、貴方の言動、やり方に憤りも感じています。

なぜ今書くのか?

結城氏の言動がピークであったのは、今から一週間以上も前のことだと思います。私はもちろん知っていました。

まず第一に「ネガティブキャンペーン」を繰り広げる連中がここぞとばかりに、Twitterでリツイートしたり、そこら中で、これは利用できる、自分たちの「ネガティブキャンペーン」に著名な著者からお墨付きをもらったとばかりに、方方に貼り付けてアピールしており、良識ある読者の方々より、この現象を教えていただいたからです。

結城氏による、本書そして著者である私に対する言動は、ネットでは結構な程度をもって流布されており、この事象は当然のごとく、本書の担当編集者はじめ、出版社の方々にも認識されていました。著者の私の耳に入らないわけもありません。

最初は完全無視しようと思いました。そもそも私は結城氏のことをよく存じ上げないし、こういう一方的な行為についていちいち反応、論評するのもキリがない、と思っていたからです。

このブログにしても、技術ブログです。
冒頭に一部抜粋した技術記事を列挙していますが、このような「炎上案件」の記事にばかりアクセスが集中して、技術記事はまるで読まれていません。
時折、このブログは否定ばかりだ、という人も居ますが、そうではなく、地道な普段の技術記事についてはまったく興味を示さない人ばかりで、「炎上案件」の記事にはアクセスが集まるのです。

直近の、
React (.js Facebook)解説 関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高生の先輩から受けた特訓5日間 サポート記事 静的HTML編
そして、
React 解説【動的HTML-FRP編】
など、本書の延長の副読記事など、地道な普段の技術記事で、ほんとうに役立つものがあると自負していますが、そのような地道な作業がまっとうに評価されることはまずありません。

今後も、真摯に読んでいている読者サポート、副読記事のシリーズを企画していた矢先、またこういう人について論評を重ねることに自身それなりの抵抗がありました。結城氏の仕事が出版業界で一定の評価を得ている、人望もある、ということも見聞きしましたが、今となっては、前者はともかく、後者はもちあげられすぎではないか?と率直に思っています。

実際、本件についてメール等でやりとりしながら、何か結城氏が特別な存在のように、彼のひとことひとことをまるで「聖句」のように、解釈論争をするような持ち上げ方には、大きな疑義がありましたし、私自身はもちろん、相手のお時間もいただいて議論すること自体もどうか?と正直、疑問におもっていました。

「いくらなんでも、これはちょっとな」
「さすがに当事者として見解を示しておくべきだ」と、最終的に思ったのは、
「結城さんの影響力を考えるべきである」という意見があったこともあります。

そもそも私は相手の「影響力」によって、態度を変えたり、自分の意見を封じ込めたりすることはすべきではない、という考えで、それは実践しています。
また、本書にもしつこく書いてもおりますが、私はあらゆる「権威」の匂いがするものをリスペクトしません。
だからこそ敵を作りやすい、ということもあるのでしょうが、いくら周囲を敵に回して自分が「損」をするかもしれない、と見通せたとしても、そういうことはすべきではないと思っています。
昨今の不幸な事象が多くを語るとおり、権威主義、事なかれ主義こそが、我が国で不幸を生む大きな要因であり、私はその風潮に与したくはありません。

また、「結城さんの発言はすべて、岡部さんの味方であることを表現しており、著述者として同じ仲間であると考えているはずだ」
と、よりによって、彼の言動が私へ味方するものであり、その良識を評価する意見を確認したからです。

「いくらなんでも、これはちょっとな」そう思いました。

最初は完全無視しようと思ったのも、良識の土台となる常識的判断が平均的にくだされるだろう、私がまた表でなんか言わなくても、世間の判断は信頼できるだろう、そう思っていたからでした。
一方的に社会的評価を自身毀損しているのは彼なのだから、と楽観していたのですが、どうもそうではないようです。

背景事象

本書のDay1ドラフトをQiitaで公開したところ、一部の人から『数学ガール』のパクリだ、との中傷がありました。指摘ではなく、事実と異なる中傷です。

こういう事実と異なるネットの中傷は、良識による自律的修正が残念ながら期待ができず、それどころか延々と増幅するという非常に面倒なことになるので、私はすぐに、『数学ガール』とは企画構想段階でも執筆段階でも念頭にもなく、無関係であることを説明し、書籍の存在は存じあげているが読んだこともない、ことを説明しました。

そして、ものがたりで解説する手法は古今東西、広く用いられる手法であり、よく言えば王道、悪く言えば有りふれた手法であることを説明しました。
たとえば、説話を通じて道徳、教訓を語るような文学は広く馴染みのあるものですし、聖書なんていう世界的ベストセラー#1の書籍にしてもそうです。

『ソフィーの世界』という哲学解説書にしても、
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』にしても、その他列挙したら枚挙に暇がありません。

本書はその偉大なる潮流の末席に位置する類型であることがは確かであるが、同様にその一類型である『数学ガール』のみがことさら本書の先行書籍かつオリジナルである、と考えられているのは道理が理解しかねる、ということを、以前も最近も説明しました。

そもそもの着想としては、受け入れられにくい「関数型プログラミング」の魅力とメリットが読者に伝わるように、導入前後、発想の転換が明確になるように、BeforeとAfterを対比するような手法をもって説明したい、と企画段階で著者の意向として、編集部と相談していたことからはじまります。その過程で、編集部より、本書を「ペア・プログラミング」形式で進めるのはどうか?と提案がありました。単に、BeforeとAfterの対比ではなく、開発過程で、関数型プログラミングを用いる先輩と、経験の浅い後輩がおり、そのやりとりでやると面白い、という提案です。私はこのアイデアは面白いと賛同しました。企画を出版社社内で通すために、目次の構成が必要であると打診されたこともあり、先輩後輩のやりとりをイメージしたかったので、編集部が稼働していない週末の2日ほどで、Day1の素案を書き上げました。

書き始めた当初、舞台が会社だったのですが、どうも設定に無理があると感じて試行錯誤の末に、舞台を学校の部活に勝手に変更しました。どうやったら自然に話を前に進められるのか?と最適解を探しているうちに、それは自律的に立ち上がってきたのです。舞台の変更については、週明けに担当編集者に見せて事後承諾もらえば良いと考え、書き上げました。

学園モノは、常にライトノベルやTV/映画、コミックで安定の人気の舞台設定です。
国内文学では、古くは樋口一葉の『たけくらべ』から、筒井康隆『時をかける少女』、眉村卓『ねらわれた学園』など、いろいろありますし、ラノベの多くが学園ものであるのは、この流れを汲んでいます。TV/映画では、『ビバリーヒルズ高校白書』『ハリー・ポッター』、コミックでは『デスノート』『スラムダンク』とにかく、国内外メガヒット級の舞台の多くが学校、学園であるというのは、いまさら私が列挙するまでもなくわかることでしょう。
創作者にとっては舞台装置を選定する際、安全牌のパターンであるとも言えます。

本書が誕生した経緯として、以上のような偉大なる潮流があり、本書はそのひとつの類型であると言えます。最初からそこを意図していたわけではありませんが学園設定が最適解であったのは、それなりの道理があり、自然とそこに落ち着きました。

こういう本が出てきたら、『数学ガール』のパクリだと言われるのは、その筋では確かに著名なのかもしれないが、創作活動というものを非常に矮小化していると感じました。俯瞰してみると、『数学ガール』にしても、この潮流の一端に存在しているに過ぎません。

ここで、私による事実の説明として、『数学ガール』という書籍について、というより、その著者の結城氏にとって、あまり愉快でない要素がある、と「想像はでき」ます。

1.『数学ガール』を私は読んだことがない、
2.『数学ガール』は何らこの分野においてオリジナルであるというわけではない

もちろん「パクリ」というのは、以上の2つの事実関係をまったく無視して、決めつける言いがかりですから、私としては事実は事実であると、明示したにすぎません。単に言いがかりの上、今後ほうっておいたらまたかなり面倒なデマとして、嘘を100回書けば事実になる、という事象を、たいせつな書籍の著者として事実関係を明確にしながら風評被害を予防したにすぎません。とても面倒なことですが、実際にこれまで、嘘を100回書かれて事実だと思っていることはたくさんありますから。

私は事実関係のみを淡々と書きました。

話を聞くところによると「立派な人」らしいので、『数学ガール』にしても、偉大な、「ものがたり+解説」「学園モノ」の潮流の一端に過ぎないんですよ、と今後、著者ご本人から優れた知見を提示されることもあるだろう、と期待もできました。そういう期待をしたのは間違いだった、と結果的に痛感しましたが。

そして、なにより、よもやこんなくだらないこと、小さなこと、つまり、「御」著書を読んでいない、ということをもって、無視された、尊重されていない、リスペクトされていない、と気分を害して、なんか変なことをする人ではないだろう、とは勝手に想像しておりました。

もちろん、このタイミングで、私がよく存じ上げない結城氏にたいして、へりくだった形で、「たいへん評価も高いご著書ですが、勉強不足なもので、拝読しておりません、申し訳ありません」などと書いても良かったのでしょう。

しかし、偉大なる潮流を説明している場で、自身の創作活動についてパクリだの矮小化のそしりを受けた説明の場で、なんでよく知らない本について、よく知らない著者にむけて、思っても居ない、へりくだったお世辞を書く必要があるのか?そういうことはすべきではない、と考えました。

私は、意外に思う人は多いかもしれませんが、日常生活では、人を褒めることは大好きです。率直に良いと思ったことについては手放しで褒めます。それだけに、心ないお世辞は苦手です。特に今回は、先行書籍として一定の周知度を有するものを上段より振りかざされたという理不尽さも感じていましたので、その理不尽さにむしろ加担するつもりもまったくありませんでした。

私は少なくとも、『数学ガール』ときちんと書籍名を書きました。
当然のリスペクトです。
淡々と事実関係を表明にするに際しても、誰かの著作に言及する際の最低限の作法と礼節は維持しています。

IQなんとかの本、などと無礼なものいいはしておりませんし、
読んでもいない本を、わけのわからない連中と一緒になって同調し、「毛の壁」だの書いてるTweetをリツイートをして彼らを喜ばせながら、一緒になって侮辱するような真似はしていません。

結城氏の言動を知った時、私は最初にこう思いました。
「ああ、怒っちゃったんだ」と。
「こんな、しょうもないことで怒るような人なんだ」と。
「怒る、ということは、偉大なる文学の潮流の末席にいると謙虚に俯瞰して、他の作品も同等に考える人ではなく、自分が国内でこの分野を確立したと考えながら縄張り意識でもあるのだろう」と。

私は結城氏にたいして、媚を売るような真似はしませんでしたが、いかなる礼節を損じたこともないと信じています。
そして、『数学ガール』の著者である結城 浩氏による極めて一方的な行為により、非常な不快と迷惑を感じている、ということははっきり明言しておきたいと思います。

本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。

現象の検証への動機

「結城さんの発言はすべて、岡部さんの味方であることを表現しており、著述者として同じ仲間であると考えているはずだ」
という発言を受けて、
「いくらなんでも、これはちょっとな」
そう思いましたが、そういう超好意的に結城氏をもちあげるような見解のほうが実は正しくて、私がとんでもない勘違いをしている、という可能性を考慮しました。

実際、これまで私は結城氏の発言をろくに精査していませんでした。
前述のように、そもそもそんなものに時間を割いて検証するような価値があるのか?何か彼の言葉が特別な存在のように、彼のひとことひとことをまるで「聖句」のように、解釈論争をするような真似に自身加担したくなかったのです。

でも、実際、なんか妙なことが起こっているな、と観察したので、こういう手間のかかる記事を書き始めているわけです。たいせつな著書と、著書を本当に評価していただいている、たいせつな読者、そして担当編集者、出版社もひっくるめて不当な思惑によって毀損されている、とも考えておりますので、後世の記録として残します。いつも言うことですが、短期的な雰囲気に影響を受けない中長期のフェアな評価が下ると信じています。

結城氏が、ご自身の著作と読者をたいせつに思われるのと同様に、私も自身の著作と読者をたいせつに考えています。
正当な書評行為でもなんでもない、ご自身の本の宣伝のために、読んでもいない本について、著者について、その場の雰囲気に乗っかって一緒になって毀損する。結城氏にはそういうことをする道理も権利もないはずです。非常に迷惑しております。

これまでの観察より、私は結城氏の良識や行動の修正にまるで期待などしていないのですが、少なくとも多少なりとも反省されたら良いとは思っています。良いとは思いますが、期待はしていません。

後は世間が判断することでしょう。結城氏にも、著作を通じて、きっと多くの愛読者、ファンがおられることでしょう。そして私は彼らの良識を期待しています。

現象の検証

検証範囲ですが、漏れ無く検証すると分量も多いので範囲をかなりしぼって、
私と著書への具体的言及が存在する、2015年4月30日の結城氏のTwitterのタイムラインだけを本稿では検証し、論じます。

サードパーティのTwilogというTwitterログサイトから、
同日のTweetを引用します。
http://twilog.org/hyuki/date-150430

この24時間だけでも、199 tweetsもあります。かなりの量です。

今回、私が結城氏のTwitterのタイムラインを観察して、まず驚いたのは、氏がかなりの「エゴサーチャー」タイプである、ということです。
そして、ご自身や著作を褒め称えるTweetをこれはもう、おそらく、もれなくすべてRTして掲示しています。

なるほど、少なくとも、この方は世間でもちあげられているほど「おくゆかしい」「謙虚な人」ではないな、というのが私の率直な第一印象です。

こういう挙動はむしろ「マーケティングする人」の挙動であり、その意味では、私とタイプが似ています。

私の「問題の」書籍、関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間でも、明々白々ですが、私は「マーケティングする人」です。と言っても、純粋に社会実験としてのマーケティングに知的興味がある「マーケティングが好きな人」であり、同時にできれば謙虚ではありたいとは思っています。信じられないかもしれませんが。アンフェアな事象には了とせず行動するだけです。

彼は「自身を売り込むことにやっきになっている書き手」であり、
自分の「ブランディング」にご執心で、
「人気商売である自覚」を強く持っているタイプの言論者です。

TVのコメンテーター稼業の人々がおられますが、その路線です。
慎み深い言葉を「聖句」が如く、弟子や第三者が拾って解釈するような言葉を発するタイプの言論者ではありません。

それが別に悪い、って言っているのではありません。その実利的な有効性を理解し、十二分に共感もします。

今回申し上げたいのは、そういう自己顕示と本の宣伝、とご自身の商売のために、人のたいせつな著作、そして、たいせつな愛読者を踏み台にして、善人ぶるようなアンフェアな真似はしてくれるな、甚だ不快で迷惑である、ということです。

私は、一言論者として、貴方の言動、やり方に憤りを感じています。

そして、いくらなんでも世間はこういう人をちょっと持ち上げ過ぎなんじゃないか?大丈夫ですか?少々人が良すぎるんじゃないのかい?ということです。

もちろん、誰のどういう行動であっても、岡部を攻撃するに利用できればそれで良い、兵力にカウントできれば事足りると考える層は大人数存在するので、その層は論外です。この層には何を言っても通じません。連中は邪な自身のアイデンティティを正当化したいだけの損得勘定だけで動いているので。

さて、宣伝要素ですが、以下のようなツイートがちりばめられています。

結城浩@hyuki
連休の読書に「数学ガールの秘密ノート」の最新刊はいかがですか。「微分を追いかけて」この巻から読み始めても大丈夫!
http://note5.textfile.org
posted at 11:47:00

と宣伝し、その他新作の執筆活動の宣伝、の他、好意的なRTの連続です。
思慮深い、「聖句」として読みとくべき言葉、ではなく、
彼のTweetは基本、自己顕示、マーケティング、宣伝としての性格が色濃いと私はすぐに判断できました。この性向は圧倒的です。
繰り返し、念の為ですが、それが別に悪い、って言っているのではありません。私はその実利的な有効性を理解し、十二分に共感もします。

今回の本書にまつわる騒動で「結城氏自身が迷惑におもっている」との見立てとして、ご意見を頂戴もしましたが、とんでもない勘違いでしょうね。

氏は今回の騒動を
「この機に乗じて自分の存在を、さらに広く世に示し、ブランド力を高め、
著書を宣伝するたいへん良い機会だ」と思ったはずです。

私がこれまで聞かされた好意的解釈として言われるように、騒動をたしなめるのであれば、正しい道筋を示すのであれば、彼は表現者として一流ですから、そんなことは簡単にできるはずです。

実際何をやったか?「一緒になって煽った」のですよ。
「騒いでいる」連中に歩み寄り、理解を示し、自分が同じグループに属すると示しました。

炎上に自分も加担している、と示すことで、彼らにリツイートさせ、自身の露出度を高め、自分の名前を書籍を宣伝されました。こんなものはこの24時間のタイムラインに限って見てもすぐにわかることです。

でも、ブランド力を高めるためには、一応、騒動をたしなめるフリもしなければなりません。極めて巧妙にそれは成し遂げられています。それを説明します。

より具体的言及の検証

結城浩@hyuki
ほんとうに詳しい方が、正確でわかりやすい関数型プログラミング(言語)の本を書くのが、最も大きな反論です。また、業界全体にとっても入門者にとっても意味のあることだと思います。私は「あなた」にお願いしているのです。よろしくお願いいたします。
http://twitter.com/hyuki/status/593711772944629760

「ほんとうに詳しい方」が本を書くのが「最も大きな反論」
「業界全体にとっても入門者にとっても意味のあることだと思います。」

反論対象の私の本は、
「私」という
「ほんとうは詳しくない方」によって書かれているってことでしょう。

「正確でわかりやすい」ことで、「反論」として成立するのであれば、
反論対象の本書はすなわち、
「正確でもない、わかりやすくもない」
っていうことです。論理的にそうなりますよね?
そしてそのニュアンスは誰でも汲み取れるでしょう。

もちろんこのツイートには、後半部分に建設的な提案が「添えられている」のは間違いありません。
しかし、それは彼にとっての主題ではありません。一番言いたいことは最初に書いているのです。

「IQなんとかの本の反論となる本を書いてみせてください、お願いします。」
これが彼が一番言いたいことであり、
その要素の後に、

また、業界全体にとっても入門者にとっても意味のあることだと思います。

「また、」と続く副次的な要素として、「意味のあること」は添えられています。

結城氏が、「あなた」にお願いしたいのは、
IQなんとかの本の反論
であり、「意味のあること」でもあることは、おまけです。

ということで、結城は言いたいことは言った。2015年か2016年か知らないけど、関数型プログラミング(言語)の良い本が出てくるといいなあ。いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。私の(2016年に出るはずの)『数学ガール6』との競争だなあ。どっちが早く出るかなあ(にやり)。
http://twitter.com/hyuki/status/593714560852307968

「いいなぁ」と「言いたいこと」です。
一番「言いたいこと」とは、もちろん、
「また、」と続く副次的な要素として添えられている「意味のあること」ではなく、
「IQなんとかの本の反論となる本を書いてみせてください、お願いします。」
です。

そして、基本『数学ガール6』の宣伝です(にやり)。

繰り返しますが、人の本のネガキャンに乗じて、自分の本の宣伝をするような、アンフェアな真似はしてくれるな、と思います。
ブランディング、本の宣伝は、人を不当に貶めながらやるものではない。
迷惑です。しかも、ご自分が不当で恥ずべき真似をしている自覚もないようです。ここが信じられない。

2015年か2016年か知らないけど、関数型プログラミング(言語)の良い本が出てくるといいなあ。いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。

IQなんとかの本の反論が、彼にとって一番「言いたいこと」であることを考えると、この文意もはっきりします。

逆に「意味のあること」が副次的なおまけであることを軽視し、それが彼にとって一番「言いたいこと」と好意的な誤読をすると、それはこの文章も好意的に誤読できるでしょう。

彼がこう「憂う」私の著書が出た2015年の現時点では、まだ
「関数型プログラミング(言語)の良い本」は出ていない、

2015年か2016年か知らないけど、これから出てくるとよい、

つまり、本書は
「関数型プログラミング(言語)の良い本」ではない、
と言ってるのと同じでしょう?

いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。

「みなさん」って一体だれだろう?
貴方は一体だれと「対話」しているのですか??

もちろん、彼自身のツイートを大注目している、大騒ぎしている連中、
リツイートしてくれている、ネガキャンしてる連中のことですよね?

エゴサーチに熱心な方なので、そのへんの事情はすべて把握されています。
どういう文脈で自身のツイートが拡散しているのか?
どういうコメントが畳み掛けられるのか?この人は全部理解してやっています。
だからこそ、

いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。

と「対話」しているのですね。

ネガキャンしてる連中に「みなさん」と擦り寄り、
「私もそう思う」、って同調しているではないですか。

これはたしなめているのでしょうかね?
同調してネチネチDisって、最後は自分の本を宣伝する。

読んでもいない本にあてつけて、良い本だのなんだの対比的に論じ、
「みなさん」と「そうだそうだ」と囃し立てて、
最終的には自分の本を宣伝する。

そういう最悪な書き方です。まともな論者の作法ではありません。

しかも、好意的に捉えようとすれば、
「結城氏は岡部の味方をしている」
と実際好意的に勘違いする人も出るような書き方です。
単に、人を踏み台にしながらの宣伝活動なのに。
ろくでもないと思います、ほんとうに。

以下、蛇足。
岡部さんの本へのアンチテーゼとして書くべきではない(と私は思う)。そうではなくて、《読者のことを考える》という原則で、「あなた」の読者さんに向けて、関数型プログラミング(言語)の良い本を読みたいと願う読者さんに向けて、書くべきである(と私は思う)。
以上、蛇足。
http://twitter.com/hyuki/status/593716486914478080

直後のこのツイートによって、完全に一連の言及が個別具体的に私、岡部と私の著書へのあてつけであることが明示されています。

「岡部さんの本へのアンチテーゼ」っていうものを、著者として是非見てみたい、それは面白いことになる、何故ならば私の著書の内容は正しいから、と思うわけですが、それはともかく、この人は、
「岡部さんの本へのアンチテーゼ」っていうのを念頭にもおきながら、書いていたわけです。

その上で、まるでその前提を共有するような勢力に阿り、同調していたくせに、それをたしなめるような態度を示している。根底は、もちろん人を踏み台にする自己顕示とご自分の著書の宣伝活動なわけですが。

本当に、読んでいて、「偽善だな」と思うわけですね。
背中に結城氏の土足があたっているものとしては。

その直後に続く彼のタイムラインのRT

ちゅーん@its_out_of_tune
こう考えると、数学ガールを書いてる結城先生ってその辺のスキルがすごい高いんだけど、その人に「毛の壁いじりはもういいから、はよ正しい入門文章書けよ」と言われれば「あ、はい。」としか言いようがないジレンマみたいのはあるよね(´・ω・`)言い訳してないで書けっつぅ話なんだが。
Retweeted by 結城浩
retweeted at 19:02:19

ちゅーん@its_out_of_tune、よく見ますね。
ネチネチずっと、粘着して当方に「毛の壁いじり」などと、
愉快犯的動機を露骨に表明しながら、私を誹謗中傷し続けているメンバーです。

結城氏は、こんな人のTweetをリツイートしている。
そりゃ、大騒ぎしている連中、リツイートしてくれている、ネガキャンしてる連中に、

いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。

と阿りながら、なかよく「対話」していたら、こういう、
ろくでもない人間からの「お返事」も来るわけです。
もちろん、結城氏はエゴサーチャー的に、状況を逐一漏らさず把握していますから、こうやって「お返事」も漏らさず掲示するわけです。
「毛の壁」と、私が兵庫県警に刑事告訴までした案件の侮辱呼称でも、なんでもお構いなしです。

数学ガールを書いてる結城先生ってその辺のスキルがすごい高い

って自分のブランド力を高めて、自分が「得」をすれば、
私が当然不快に思うだろう「毛の壁いじり」だとの罵倒、
もちろん、これはエゴサーチャーとしての結城氏が状況を知らないわけもないわけですが、そういう他者の「損」なんかどうでも良いのでしょう。

自分のブランドを高めるための「得」 >> 踏み台に利用する相手の「損」

という構図がここでもわかりやすいです。
ほんとうにろくでもないと思います。

「まるでその前提を共有するような勢力に阿り、同調していたくせに、それをたしなめるような態度を示している」
という偽善的文書にまんまと騙された著名ネガキャン者、
知らないわけでもないでしょう。
「毛の壁いじり」だとか、RTして「追認してやる」ことで、
連中どれだけ喜んでいるか?
うまいこと、騙せてよかったですね、ということです。

これが、騒いでいるものたちをたしなめる態度ですか?
その直後には、

@MasutaniHCU
数学ガール6鋭意執筆中らしい
Retweeted by 結城浩
retweeted at 19:02:24

20分も立たないうちに、宣伝に利用できる次のTweetを見つけられました。
宣伝に余念がありません。

繰り返します。宣伝するのは結構。あなたがマーケターであるのも結構。
何も悪いことはない。
ただし、人を毀損する活動に乗じて、それを展開するような真似をしてくれるな、甚だ迷惑である、ということだけです。

Eijiro Sumii ‏@esumii 4月30日
@hyuki (私も含め皆さんが何度も言っていてすみませんが)http://www.amazon.co.jp/dp/4781911609 じゃだめですか?

結城浩@hyuki
@esumii いや、私にそう言われましても…この本は、岡部さんをdisる人たちが、IQなんとかの本の代わりに推薦なさる本なのかしら。それならばそれで、まったく(私は)異論ありません。私は単に「本のdisり」より「本のオススメ」のツイートやブログ記事を見たいだけなんです…
https://twitter.com/hyuki/status/593756035547926529

**この「本のオススメ」について続編というか補足解説:99%のプログラマがIQ145のJKに「ダサい」と言われてしまう理由とは?【その1】「計算機科学のほんとうの基礎」を理解していない。IQ145のJKと同じ事を語るMITの権威とSICPという聖典の権威を借りてマインドコントロールを解いてみよう

これまでの論証で明らかですが、結城さん、あなたも十二分に岡部をDisっている。人の本を踏み台にして宣伝活動に余念のない人が、自分は違う、

私は単に「本のdisり」より「本のオススメ」のツイートやブログ記事を見たいだけなんです

とか、偽善ですね。

「IQなんとかの本」。まっとうな論者の作法ではないです。
なぜ、読んでもない本を腐す連中に加担しているのですか?
連中が腐しているから?
正当な議論はどこにあるのですか?
@esumiiさんが、以前から私の主張を有害だとかトンデモだとか、そう言っているから?
というか、またOCamlのオススメ本ですか。OCaml好きですね。

こうやって仲良くやってる、対抗勢力が、なんか、あまり一般読者の需要が強くなさそうな言語の別の本を薦めたり、相変わらず権威主義で、お茶を濁すばかりで、
まるで、本書の解説や主張に間違いがあるかのごとき印象操作はするが、何一つ、反論できていないことについて、言論者として問いただしたらどうか?と思うわけです。

たしなめる風である巧妙な思惑、そして宣伝活動も成功されているわけですが、「IQなんとかの本」とか、読んでもいないのに、Disられている風潮だけで、なんか論じている、関数型プログラミングはわからないと繰り返し、読んでも居ないのに、なんとなーくDisっている自分たちの味方だ!と思わせることには成功し、同時に、大人のたしなめという建設的提言もしているように見せかけることにも成功している、ご自身と著書の宣伝活動、ブランディングには成功されているようです。

あなたの勝手な都合で、本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。

なんでしょう。この百戦錬磨の老獪な政治家が、
「いやいや、私は中立なのですよ、私はむしろたしなめているわけです。」
というような偽善をこうも堂々と目の前に展開されているのを目撃する気持ちは。
なんでしょう、ではなくて、まさにそういうことなのですが。

考えてみると、結城は関数型プログラミング(言語)に詳しくもなんともないのに、なぜこんなにあーだこーだ言ってるんだろう。たぶん、「本を書く」とか「本を出す」あたりに反応してるのかな。disる、disられる、とかね。一周りしてみると、やはり最初のツイートに思いは集約されてるかも。
posted at 22:06:59
http://twitter.com/hyuki/status/593763479632285697

さすがに「詳しくもなんともないのに、なぜこんなにあーだこーだ言ってるんだろう」と自省されはじめたようです。

なぜこんなにあーだこーだ言ってるんだろう。

機会に乗じて、ご自身のブランディングと著書の宣伝のためでしょう。

たぶん、「本を書く」とか「本を出す」あたりに反応してるのかな。

そのとおり。「自分のほうが先にものがたり風の解説本をやった」という縄張り意識からでしょう。
『数学ガール』も、大いなる潮流のひとつにすぎない、オリジナルではない、と私が言及したこと、
個別の数学ガールシリーズとしての本は、読んでは居ない、パクリではない、と「リスペクト」しなかった、無視してしまった、憤りからでしょう。
意趣返しの「IQなんとかの本」という物言いに集約されています。
「小さいな」って思います。
なんでこの人はもちあげられているのだろう?と率直に思います。
私は迷惑な人だな、と思っています。

少なくとも、「自分の反応」の原因について、自覚的でなく自身なんでだろう?というのは、感情的要素によるものである、ということです。
「やれやれ、酷い状況だ。こういう岡部を叩いている卑劣な連中をたしなめてやろう」
という、思慮深い考えと動機から、この一連の言及が開始されていたのでは「ない」ことがよくわかります。

人の言葉、というのは、「語るに落ちる」というものいいも存在しますが、必ず「尻尾」というものがあります。

なぜこんなにあーだこーだ言ってるんだろう。

IQなんとかの本

毛の壁いじり

不愉快なリツイートへの追認もふくめて、こういうの全部「ことばのしっぽ」です。

「それくらいのこと」と好意的に無意識に見落としてやるのが、バイアスであるということ。
ことばのしっぽ」「それくらいのこと」こそが、発言者の正直なスタンスが透けて見える手がかりであり、本当に、結城氏が「岡部の味方」で「変な連中をたしなめたい」のであれば、
こんな「ことばのしっぽ」「それくらいのこと」は出てこないのです。

本当に建設的な提案「意味のあること」が主題としてあるのならば、
「なぜこんなにあーだこーだ言ってるんだろう。」と自身の発言の意図に迷うこともないでしょう。
本当に建設的な提案「意味のあること」を訴えたいのであれば、
「IQなんとかの本」という意趣返しなどしないでしょう。

根底には感情的なものしかないから、自身の発言がコントロールされていないように思い、そのような言葉遣いをしてしまうのです。副次的に添えられた、とってつけられた「意味のあること」は、あなたが一番いいたいことではない。

今でも、このブログ記事に反応して、好意的解釈をゴリ押しすることで、結果的に、それはまた「私の間違ったおこない」を示すことにつながり、足をひっぱることが出来るという「損得勘定」で、そうしているわかりやすい連中が後をたちませんが、まずまず彼らのバイアスの効いた「読解力」なんてものは評価に値しませんし、私自身ももちろんバイアスの効いた論者ではあるでしょうが、少なくともこのように自身、相手の主張のほうが正しいのでは?自分が間違っているのでは?というところから、懐疑的に検証はします。連中は、最初からもう誰の肩をもつのか決めており、結果ありきの適当な立論をしますから、相手する価値もありません。

まさに書籍を読んでもいない人が、判断する指標とするのが書評ですが、「書評っぽい」が断じて書評でもなく、なんとなーく、

あの『数学ガール』の著者でさえ良くは言っていない

という巧妙な印象操作だけが世間に流布されていることに成功し、同時に自身は好意的な人には「むしろあれは味方しているのだ」と勘違いさせることにも成功し、対比的に自身をブランディングすることで、ご自身の本の宣伝に勤しんでおられる、結城氏です。

結城氏が

いいと思うよね、みなさん。私もそう思う。

と「対話」したり、「返信」がきたら「毛の壁いじり」という内容も含めてリツイートしながら、その言い草を承認している「相手」連中がやっていることについてかなり怒っている本書の読者もおられます。それは「テロ行為」であると。

自由な書評を封じ、読者の読書機会を暴力によって奪う「テロ行為」であるとの指摘があります

もちろん良識ある人がみれば、こういう連中による一連の行為は、読者の読書機会を暴力によって奪う「テロ行為」であると考えて当然でしょう。

そして、書評という正当な行為から逸脱し、なんとなーく、

あの『数学ガール』の著者でさえ良くは言っていない

と印象操作だけをして、本の宣伝だけをしたい結城氏は、この読者が憤られたような、当然の良識は期待できません。

「テロ行為」やっている連中は、結城氏に「みなさん」と言われて喜んでお返事したら、
「毛の壁いじり」とその愉快犯的犯行のスタンスを明示しても、
リツイートもしてくれる、承認されている状態なのですから。

氏の一連の言動がこの「テロ行為」へのお墨付きを与え助長しているのは間違いありません。
本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。

読者の方より、こんなメールをいただいております。
私のたいせつな読者の方から、いただいたこの勇気ある意見と行動に感謝します。

アマゾンのレビューについて

岡部様

こんにちは、【実名】(*伏せます)です。
昨日は、本当に丁寧にご対応下さり感謝申し上げます。
量子コンピュータにも興味がありますので、わくわくしています。
SICP の無料 PDF もありがとうございます。
(実は後で読むつもりで iPhone に取り込み済みでした(笑))

さて、さきほどアマゾンのレビューを投稿しようと思い、
手順などを調べていたのですが、色々分かってくるうちに、
なぜフェアなレビューが投稿されないのかよく理解できました。
(レビュー投稿は初めての事なので今それを認識した次第です。)

前提として、アマゾン商品購入が条件なので、捨てアカウントはできません。
そして、レビューの「参考になった」、「ならない」がレビュアーの実績として
加算されていきます(至極当然な仕組みです。)

仮に、ごく普通のアマゾン利用者がいて、普通に商品を購入し、
特に気に入った商品についてはレビューし、いくつかの「参考になった」をもらって
ささやかなアマゾンライフを楽しんでいたとします。(これが圧倒的多数の姿だと思います)

そんな人は、かような状況で絶対にレビュー投稿できません。
圧倒的な確率で不条理な量のマイナスポイントが“刻印”されるからです。
ささやかな活動の「参考になった」が 3 に対し、
悪意によって「参考にならない」が 100 つく感じですね。
これはもう、人によってはそのアカウントを捨て去る覚悟を要求されます。

せいぜい自由なのは、不条理なレビューに対して反対票を投じるぐらいで、
20~30ほどそうした票が見て取れます。20~30あるいはその半分でも、
通常のレビュー投稿を試み、この事態から挫折したかもしれません。
そうした方々が自身のふがいなさを思ったであろうことは、想像に難くありません。
彼らが悪いのか、とんでもない。ひどい話です。

つまり、アマゾン利用者として『事実上自由なレビューを制限されている』状況です。
状況解釈などではなく、一アマゾンユーザーとしてそのような縛りを感じると、
はっきり断定します。

私のレビューに、みんなもレビュー投稿しようぜ!ってな要素を含ませようと
考えていたのですが、それが出来そうにないと知ったわけですね。
(私が特攻レビューしてもなんら失うものはないのですが・・・)

まったくもって、恐怖心をたのんだ「テロ行為」そのものです。
利用者の自由な意見の表明場として正常に機能しているとは思えません。

そこで、対抗レビューの前にまずアマゾンへ抗議しようと思います。


  • アマゾン レビューガイドライン
    「投稿したレビューやガイドラインに関するお問い合わせは、カスタマーサービスまでお願いします。」

私の立場としては、

「おいおい、明らかにレビュー場が正常なパターンから逸脱してるだろっ!
安心してレビューできる状態へモデレートしてくれ!」

ということになりますが、

(すでにアマゾンへの抗議はされているとも思いますが、)
ご著者のお立場としては、今後の売り上げへの影響も懸念されることですので、
アマゾンという世界的巨大サイトを悪用したあまりにも強大な風評被害という点で
抗議なさってみてはいかがでしょう。
ご自身の利害意識からの抗議ではなく、不肖私、一読者からの進言があったわけですから。

あるいは、メールを頂いた他の善意ある読者様に、
直接アマゾンへの抗議を呼びかけられてみるのも手かもしれませんね。
こういう意見は数が多い事に意味がありますから。

一部のやかましい小集団による恣意や悪意によって、
アマゾンはコントロールされるべきでない、テロ行為も許容すべきでない、
というのがアマゾンの当然な立場だと思います。

岡部様

【実名】です。
今、まさに抗議文を送信したところです。

☆5つの方、いらっしゃいますね。すごく勇気のある方です。
そして、その方、これまでのアマゾンのレビュー実績が多く、きわめて頼もしいですね!
異常な不支持票をものともしない強い味方です。流れが変わるかもしれません。
おめでとうございます。

ちなみに、抗議文はこんな感じです。


レビュー機能が悪意によりハイジャックされている事をご報告します。

書名『関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間』
http://www.amazon.co.jp/dp/4798043761/ref=pdp_new_dp_review

こちらの書籍を御サービスで予約したところ人気商品につき到着が遅く、あきらめて近場の書店で購入しました。

一読者として、著書から得るところが大きく、とても有用との意見を持ちましたので、
著者への応援、感謝の意味も含め御サービスでレビューを投稿しようと思い立ちました。

しかし、この惨状となっており、驚きました。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4798043761/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

レビューの内容はともかく、その支持・不支持のフォローの様子をご覧ください。
見たこともないような数の票が否定的なレビューを支持しています。
さらにひどいのは、同様の数の票が肯定的なレビューを不支持しています。

こんなものが、書籍レビューの正常なパターンといえるでしょうか。
私には異常と見えます。そして、この状況からごく容易に想像できることは、
私が肯定的なレビューをすれば異常な数の不支持が投票されるだろうということです。

一読者から見て、その通りだと納得できる肯定的なレビューがありましたが、こうしたフォロー状況のため、
このレビュアーは総評として「10%役に立つ」という極めて不名誉な評価が刻印されてしまっています。
http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A5JW5097RF5VF/ref=cm_cr_pr_pdp

私は率直な意見を投稿しようとしましたが、この状況から非常に強い抵抗を感じています。
他にも、同じ理由で肯定的なレビューを思いとどまった方がいらっしゃるはずです。
結果として、御サービスは本書籍を「買うに値しない」と強烈なメッセージを発しています。

御サービスの規模、影響力を考えた時、巨大な風評被害をもたらすことが容易に想像でき、
放置すべきでないと思いますが、いかがでしょうか。


長くなりましたので、簡単に問題をまとめます。

・肯定的なレビュアーへの風評被害
・書籍への風評被害
・恣意的な小集団による御サービス機能へのハイジャック


レビュー機能が自由な意見の表明の場であるのなら、きちんとこれをモデレートしてください。
安心して、素直に気に入った商品をレビューできる状況を作ってください。
見ていて不快であり、素直な意見の表明を邪魔されて非常に残念です。

フェアな状態へ持っていけるよう、お手伝いできることはしたいと思います。
私のレビューも、人の興味を引けるような形に工夫して作り込みますよ!
気苦労も多いかと存じますが、仕方なしと笑い飛ばして参りましょう(笑)
また、何か動きがあったらご報告しますね。

本書に書いている私の知見は、「トンデモ」「低質なワードサラダ」なのか?「読んでも害しかない」のか?

「誰かの知見」に対して「有害」と論じた時点で、その論者の知見が疑われます。
あるいは「現代人」としての素養が問われることでしょう。
ここは「天動説」「地動説」でガリレオ・ガリレイが有罪になった中世ヨーロッパですか?

関数型言語は哲学や宗教と関係がありますか?

ありません。いやひょっとしたらいつか何らかの関係が見出されるかもしれませんが、これまでのところ、まっとうな言説は寡聞にして知りません。
参考リンク:ソーカル事件
(詳しい方へ:ライプニッツのモナドが…とか、カリーハワード対応する数理論理学の起源は哲学だから…とかは、ここでは「関係がある」に含めません。哲学科出身の計算機科学研究者の先生方もいらっしゃいますが、一部で見られるようなトンデモ議論は伺ったことがありません。
「関数型言語」に関するFAQ形式の一般的説明

また、

Eijiro Sumii‏@esumii
Quita on @Qiita http://qiita.com/camlspotter@github/items/6b69f16e925564a16734 … 「関数型言語系情報に関して、Qiita は、もはや情報共有サービスではありません。読んでも害しかない低質なワードサラダに占領されつつあります。
https://twitter.com/esumii/status/558530062576652289

というように、本書にも書いている私の一連の知見について、
「トンデモ」「低質なワードサラダ」「読んでも害しかない」、こう侮辱したのは、

蛇足:あなたは誰ですか?
東北大学 大学院 情報科学研究科の教授(ソフトウェア基礎科学分野)です1。情報処理国際連合(IFIP)関数型プログラミング ワーキンググループ(WG2.8)の正メンバーや、米計算機学会(ACM)関数型プログラミングに関する国際会議(ICFP)の委員・委員長などを務めさせていただいています。それ以前にも同国際会議主催のICFPプログラミングコンテストでは2000年(ペンシルバニア大学チーム)と2002年(東京大学チーム)の2回ほど優勝させていただきました!:-)
「関数型言語」に関するFAQ形式の一般的説明

ご自身によるご説明によると、東北大学 大学院 情報科学研究科の教授の、 住井 英二郎氏です。

以上の「蛇足」というか、「権威の誇示」は、私が当ブログにて、

関数型プログラミングとオブジェクト指向のパラダイムとしての対立 国内の【自称】関数型コミュニティと海外の論調の違い

を論じた直後に、即座に追加UPされました。
おそらく、私が、住井氏は、OCamlという、オブジェクト指向・関数型のマルチパラダイム言語の愛用者であり、論者のスタンスとして中立公平性を欠く、私への批判というか罵倒は「色付き」である、と批判したことから、「権威の誇示」をされたのでしょう。

何度も申し上げますが、「権威の誇示」「権威主義」は、特に科学分野においても自明ですが、「道理の説明」としては成立しません。

それは「無条件の信頼」と「思考の放棄」を読者に強いる態度であり、
「理性」ではなく「信仰」で「わからせよう」とする宗教的行為に等しいのです。
学問の作法では断じてありません。学徒として、教師として、むしろ恥ずべき行為です。

住井さん、私はこれまで貴方の「説明」の仕方を拝読していて、これは何度も感じました。
「あれ読め、これ読め」と。貴方はこれまで何も説明しておられない。ただただ自分そして他者の権威を借りる説明の仕方に終始されてきました。

オブジェクト指向と関数型は対立していますか?

オブジェクト指向も関数型言語も、基礎理論はほとんど同じ分野の人たちが研究しています(紹介記事)。オブジェクトと第一級関数やデータ抽象の考え方(第2章・第3章)など、強い類似も少なくありません。Schemeの第一人者による「オブジェクト指向プログラミングに関する欧州会議」(ECOOP)における基調講演スライド(特に22ページ目)や、Haskellの主要設計者の一人による「オブジェクト指向プログラミング・システム・言語・アプリケーションに関する国際会議」(OOPSLA)における基調講演スライド(およびGoogle TechTalksにおける同内容の講演動画)でも議論されているので参照してみてください。
「関数型言語」に関するFAQ形式の一般的説明

どこそこの権威ある誰々が、どういう権威ある場所で、どんな権威ある主張をしているか?だとか、なにかの権威ある本の部分的参照は、読者への理路の説明ではありません。

フェアに申し上げると、私がひとしきり批判した(本書でも批判しています)後に、上記項目は「改善」はされたようです。

私の著書を批判するにあたっても、前述の通り、しきりに愛用のOCamlの解説本を出されていますが、結城氏もとってつけたような宣伝とネガキャンの自己正当化としても言われたように、それ自体は褒められることです。

しかし、「代替案」を示すことは「反論」や「説明」ではありません。
「代替案」や「あれ読め、これ読め」というのは、むしろ考えて反論する手間が省けますから、楽な作業であり、「代替案」を示すだけで、なんとなーく、この相手の言うことは「代替案」より劣っている、と閲覧者に感じさせる「印象操作」だけは上手く出来るでしょう。

「権威主義」や「代替案」は、思考の放棄、議論の放棄です。

哲学的行為 自分の頭で考える作法

「権威主義」や「代替案」は、思考の放棄、議論の放棄です。
では、どうすればよいのか?
自分の頭で考えてください。学校でも世に出てからも、こうアドバイスを受けることは多いでしょう。
しかし、現状を鑑みると、それを「わかったつもり」で、なんら実践できていないどころか、
よりによって実践しようとする、たとえば私のような論者を、以上のように侮辱する人が多いことに驚きます。

哲学的行為を愚弄するものたちです。

昨今の国内IT世界では、「ポエム」なる珍妙な「呪い」が流行しているようです。
ガラパゴス・ネットスラング=「関数型ポエム」という呪詛、先入観的読書と、フェアなレビューの登場

関数型言語は哲学や宗教と関係がありますか?

ありません。いやひょっとしたらいつか何らかの関係が見出されるかもしれませんが、これまでのところ、まっとうな言説は寡聞にして知りません。哲学科出身の計算機科学研究者の先生方もいらっしゃいますが、一部で見られるようなトンデモ議論は伺ったことがありません。

という、住井 英二郎氏の「一般的説明ではない」「私見」について、
「一部で見られるようなトンデモ議論」とまで侮辱されている当事者として、
以下論評いたします。

「このご時世に読むなとか仰るレビュアー様があるようですが」「分かったつもりになるなってことですよ。」「自分で検証し判断する脳みそがありますので、ご心配なく。大きなお世話なんだよ。」

まず、上述の「テロ行為」についてもそうですが、

http://www.amazon.co.jp/review/R2LRHD6OIFCBXU/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4798043761

に素晴らしい「書評」をいただいております。
結城氏が読んでもおられない本を「Disる」「印象操作」し露出し自書の宣伝に勤しまれるのとは、対照的に、逆に身銭を切ってお買い上げいただいて、ちゃんと読んでいただいた方々による「書評」です。

結城氏が阿る集団による「テロ行為」に屈せず、このような状況の中、レビューを投稿するのは、気後れする、結城、でなく勇気ある行動だったと拝察します。

おひとりおひとりのその勇気を心よりリスペクトします。

最後部分で「一体何ロ行為っていうんでしょうね。」と指摘されていることから、前述の私へメールをいただいて、Amazonに抗議文を送ってくれた方と同一人物なのかもしれませんが、よくわかりません。

このご時世に読むなとか仰るレビュアー様があるようですが
こんな面白そうな事になっている本、読まない手は無いでしょうが(笑)

もとい、読者層は知的活動のエキスパートたらんとする人達で、機会を他人の判断に委ねる愚か者ではない。
スティーブ・ジョブズが残してくれた言葉 Stay fool って分かったつもりになるなってことですよ。
自分で検証し判断する脳みそがありますので、ご心配なく。大きなお世話なんだよ。

..
私は、ここは「天動説」「地動説」でガリレオ・ガリレイが有罪になった中世ヨーロッパですか?
と書きましたが、この人はもっと辛辣に

おやおや、ここは猿の惑星ですか?

と「テロ行為」のレベルで一連の状況を批判された上で、本書の哲学的性格を高く評価していただいております。

97 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0

これはサクラ先輩に加勢せざるを得ない!, 2015/5/5

投稿者 fine!
レビュー対象商品: 関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 (単行本)

おやおや、ここは猿の惑星ですか?

この状況を見ると、客観的に確実に言える事が1つあります。
本書は怪物のしっぽをグリグリ踏んづけているらしいということ。
この類まれな特徴ひとつ見ても一読の価値アリと言わざるを得ない。
リスクはたったの1404円!

このご時世に読むなとか仰るレビュアー様があるようですが、
こんな面白そうな事になっている本、読まない手は無いでしょうが(笑)

もとい、読者層は知的活動のエキスパートたらんとする人達で、機会を他人の判断に委ねる愚か者ではない。
スティーブ・ジョブズが残してくれた言葉 Stay fool って分かったつもりになるなってことですよ。
自分で検証し判断する脳みそがありますので、ご心配なく。大きなお世話なんだよ。

余談はさておき、本書の感想ですが、
書名が示唆する通り、本書を買い求めた私は関数型プログラミングの初学者で、
命令型パラダイムから関数型へ切り替えようともがいているところです。

結論を言えば、切り替えのための手がかりが得られました。
本書にくり返し出てくる「コード内における時間の感覚」です。

命令型の典型コードである、

n = n + 1;

には、確かに「論理的な時間のずれがある」と“解釈”できます。
関数型は論理の宣言なので、このような「ずれ」へのセンスがポイントだったわけです。
目からウロコ、パラダイムシフトの要点です。

そんな事、偉い人は誰も言ってのいじょのいこ!ですって?
それって、まっさらな筆者のオリジナルって事でしょうか?
(なら脱帽モノの、画期的な仕事じょのいこ・・・!)

一通り読んだ時点では、ご多聞に漏れず要領を得ませんでした。
ただ、モノの見方を変えようって時に舐めてかかる道理は無いので、そこはこらえつつ、
Facebook React サイトのチュートリアルや解説記事にも取り組みました。

React は関数型ライブラリのくせに setState なる不穏物を抱えており、
初学者としては、状態変数?なんで???となるところでした。

だがしかし!

「コード内における時間の感覚」という“新しい”概念のおかげで、
React の設計がとても自然に理解できたのです。ブラボー!
(親コンポーネントの状態変化が子コンポーネントに即座に反映される仕掛けで、
状態矛盾は見事に解消されます。まさに論理的な時間の一致。)

そう気づいてから、哲学を含む本書の様々なフレーズが、
この点に導いて気づかせるためのピースであった事が見えてきます(ここ鳥肌もの)。
これは、他のレビュアー様も書いている通り。

それらピースは、もう頭が下がる程に、涙が出るほどに、丁寧に、周到に、
一つの無駄もなく配置されていたのです。それはまるで、

人が
猿に
言葉を教えるように・・・

猿ちゃうわ!!
だが確かに進化した、と認めざるを得ない。

意欲的な指南書を出版された秀和システムには筆者ともども拍手を送りたいです。
今後さまざまな良書にあたり研鑽を積んでいく上で、この手がかりは大いに助けとなりそうです。

最後に、不気味な数の支持票や不支持票をぶちこんで一般ユーザーに恐怖心を抱かせ、
公正なレビューを抑え込むような事って、一体何ロ行為っていうんでしょうね。
こんなことナチュラルにやらかしてたら「ダサい」って言われちゃいますよね。

関数型プログラミングの思想啓蒙書

また、「関数型プログラミングの思想啓蒙書」と書いていただき、高い評価をいただくレビューもあります。

http://www.amazon.co.jp/review/R1PX8PB22DHNMZ/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4798043761

104 人中、12人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0

関数型プログラミングの思想啓蒙書です, 2015/5/3

投稿者 y93
レビュー対象商品: 関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 (単行本)

一言で言えば、
関数型プログラミングの思想啓蒙書です。

過去の哲学者たちの思想解説を含めた
筆者の思想・哲学的なバックボーンも
かなりのページを割いて書かれていることから、
そういう部分に感心のない人には
理解されづらいところもあるかも
しれません。

しかし、筆者の思想・思考は
デタラメなものではなく
筋が通されていますし、
その思想背景の元で
宣言的にプログラムを作る
意義・メリットが
キッチリと説明されています。

私自身、
関数型プログラム言語を使用して
開発をしたことがあり、
当時は基本的な考え方や注意点を
充分理解せずに作っていましたが、
本書により
宣言的にプログラミングすることの
理解を深められたと思います。

単純なサンプルプログラムだけではなく、
シンプルではありますが
React.jsを用いたWebプログラムの
サンプルプログラムと
綿密な解説も書かれており、
今後JavaScriptで関数型を活かした
Webアプリ開発を行うための
入り口になる書籍だと思います。

ライトノベル風という
技術書にしては少々風変わりな本ですが、
そのおかげで読みやすくなっている
ところもありますし、
よく書かれた本だと評価いたします


異口同音に「テロ行為」について厳しく批判しておられます。
勇気あるレビューに感謝したします。
そして、同様に、本書の哲学的側面について高く評価していただいています。

http://www.amazon.co.jp/review/R336LE9KJ6RG8/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4798043761

354 人中、36人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0

ネガキャンに騙されるな。大丈夫。この本は良書です。, 2015/4/27

投稿者 yukiema - レビューをすべて見る
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: 関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 (単行本)

Qiitaに関数プログラミングの記事を投稿されていた頃から、この著者の方の才覚に感嘆していました。

オブジェクト指向こそが現代のプログラミングにおける現実解。関数型プログラミングは未だ研究レベルの代物。という私の固定観念を見事に打ち砕いてくれた方です。

Qiitaの記事とそのコメント欄での議論の応酬を見てわかったのですが、
この著者の方は、その強靭な信条と、論理を欠く批判者に対する徹底した反撃ぶりゆえに、あまりに敵を作りすぎてしまいました。

それゆえ、このAmazonレビュー欄にまで、著者を攻撃すること自体が目的化した者達による「論理性の微塵もない」ネガティブキャンペーンが展開されているのです。
(それも、『xxx 人中、xxx人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。』という投票システムにまで不正なネガティブ投票をしている徹底ぶりです)

よって、レビューの星は低い状態になってしまっていますが、心配することはありません。
この本は、良書だと思います(もちろん、人によって印象は変わると思いますのでそうでないと判断する人もいるかもしれませんが、少なくともネガキャンレビューに見られるような、『読む価値もないかのような悪書』では決してありません)

この本には、関数型プログラミングだけでなく、その背景となる、様々な著名な哲学者たちの思想についても触れられています。

Qiitaの記事でそれを読んだときは、「いやいやプログラミングなのに、なんで哲学の世界にまで入っちゃうのよ・・・」と正直引いてしまった事があったのですが、この本では、サクラというIQ145を誇る美少女がわかりやすく噛み砕いて会話形式で説明してくれるので、Qiita記事よりも遥かに理解の敷居が下がりました。

そして、全体を読むに連れ、その哲学の説明が、決して著者の自己満足でなく、関数型プログラミングの確立までに至る連綿とした思考過程であったことが分かるのです。

著者は関数型プログラミングこそ最高のプログラミングであると確信している点が、本書の随所に現れており、それが、他の考えを支持する方にとって受け入れがたい、読むのが辛いと感じる部分かもしれません。
しかし、それはそれで良いではないですか。他のパラダイムを支持していて、この本を読んで批評することは全然かまわないのです。
(むしろ、著者は批判も歓迎しておられるようです。あくまで、論理性を欠いた印象論・感情論・人格攻撃する人間に対して容赦がないだけです。)

この本の内容を受け入れるにせよ、否定するにせよ、得るものがあるといえる本ではないでしょうか。

関数型プログラミングの本はどうしても難解になってしまうものが多いですが、ラノベ形式でここまでかみ砕いた説明で、関数型プログラミングの世界に誘ってくれる日本語の本はそうそうありません。

程度の低い感情的なネガキャンに惑わされて、こんな良書を見逃すなんて、もったいないと思いますよ。

最後に、☆4の評価です。

「刺激的で読みやすい、新ジャンルを切り拓くかもしれない意欲作」
http://www.amazon.co.jp/review/R4MQ12S6X2FU/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4798043761
このレビュアはどなたであるかは、存じております。
哲学のバックグラウンドがある方です。

「本書は、私にとっては、読み進めやすく」
と「珍しい」レビューをはじめられるのは、
この方はとりもなおさず、私、岡部がなにを語っているのか?
最初から理解できる、知見の土壌があるからです。

75 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0

刺激的で読みやすい、新ジャンルを切り拓くかもしれない意欲作, 2015/5/5

投稿者 Phullapadma
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: 関数型プログラミングに目覚めた! IQ145の女子高校生の先輩から受けた特訓5日間 (単行本)

本書は、私にとっては、読み進めやすく、かつ内容的に面白く、思考を刺激されるものでした。

私の知識的背景としては、本書で素材とされる言語JavaScriptに相当長期間の馴染みがあり、
西洋哲学史や宗教哲学にある程度の素養を持ちます。また言語やシステムを創案する立場に
共感しやすく、そうした設計の背景となる哲学や思想を聞くのが好きな傾向にあります。
逆に、関数型プログラミング自体には何も予備知識がなく、本書で初めて触れた状態です。

そうした背景のもとで読みますと、まるで私に合わせて書かれたかのように読みやすく、
著者の一貫した著作意図や工夫のあとがよく理解できるように感じられたので、この評価に
しました。
もし科学哲学や認識論の文章を読むのに日頃から抵抗がなく、コードの実例を目いっぱい
得られなくてもイライラしないタイプの方であれば、この著作の読者として最適ではないかと
思います。

プログラミングを哲学の投影のように扱い、背景思想を語ることに、多くの方が批判的な
ようですが、逆に、私はその点を、この著作最大の美点として推します。類書はたしかに
これまで存在せず、異色の試みですが、私はこういうスタイル・切り口の著作があれば、
他の著者や言語の本であっても喜んで読むでしょう。
哲学は歴史的に見て、あらゆる学問の源泉・母体となった学問ですが、現在においても、
その中核にあって、しかも内部の各分野が緊密に連携しています。プログラミングに
関係する論理学や数理哲学だけでなく、言語哲学・科学哲学周辺まで背景知識として
持つことが、言語設計の理解の助けになるだけでなく、面白いことだと私は思います。

ただ残念ながら、本書での意欲的な試みは、完全には成功していません。
理解のために工夫した表現・言葉の選び方が裏目に出ていたり、副作用が大きかったり
しています。
ライトノベルの形態による物語進行は、時々興ざめのアラがあったり、これは個人的好み
でしょうがキャラ設定が魅力的でなかったり、ストーリーの盛り上がりに欠けたりして、
十分な吸引力を発揮していません。

ですから★5つにはできないのですが、私には近年稀にみるツボに入った著作であり、
私に近い背景や価値観をお持ちの方であれば、大いに気に入るはずであると思います。

[追記]

この著作は、「技術書はこうあるべき」と一般に考えられるスタイルを大きく逸脱
しています。読者の期待するスタイルと違うので、期待に反して「失望した」と感じる
読者も多いでしょうし、真価が理解されにくいのだと思います。

普通、プログラミングの本といえば、なんらかの仕様・要件に沿ったコードを、
なるべく速く効率よく書くための方法を、なるべく多く、具体的に示すことを目指します。
あるいは、書き方が分からなくなったときのリファレンスを提供します。
それが、通常求められるプログラミングの本の価値です。
実際に、業務上求められることと直結しているので、学習する誰もが喜びます。

しかし、この本は、私の解釈では、その普通とは、主な目的が異なります。
オブジェクト指向と関数型プログラミングとのパラダイムの違いがどこにあるかを、
より抽象的な思想として、しっかりと分かってもらうことが主な目的です。
動くコードを書くことを最低限の前提の上で、あらゆる工夫が、パラダイムの違いが
どこにあるかの説明に向いています。
普通の本ならば言語の特徴の説明として冒頭数ページで済まされるかもしれないような
ことの伝達に、本全体が向けられているのです。

対象とする読者は、命令型・オブジェクト指向である程度以上のプログラミングができるが、
関数型プログラミングに移行する時に考え方をどう捉えていいか分からない人です。

プログラミング、特に説明材料にされているJavaScriptのよく分からない人は、
いくら短いコードが中心といっても、この本を読んでも結局何も分からないでしょう。
コマンドライン(ターミナル/プロンプト)を打ったことのない人、なんかが読むと、
この本の実践をするのに困り果てるかもしれません。
その逆に、既に関数型プログラミングを感覚的に掴んでいる人にとっては、何の利益にも
ならないばかりか、他の方のレビューを見る限り混乱を招くだけになる可能性が高いです。

同時に、プログラミング以外の教養がある程度必要とされています。
西洋哲学史の知識を中心に、日本語の語彙、そしてある程度の英語力もあった方がいい
でしょう。
平均的にイメージして、小中学生が読んで歯が立つとは思えず、登場人物と同じ高校生が
最低ラインかなと想像します。
多くの人が批判している通り、そうした教養があった上に、日常的な用法とは違う用法で
使われた単語の定義を自分で修正しながら読んでいく柔軟性と忍耐力もある程度必要です。

その上で、
過去に書いたことの参照が必要な時には、ほぼ必ず再掲されています。
ページを戻って該当箇所を探す必要がないので、一直線に読み進めることができます。
逆に言うと、物語的に、一直線に読み進めることを想定した著作です。必要なポイントを
拾い読みする本ではありません。
併せて、しばしば重要事項のまとめが現れます。多くの特徴的・個性的な表現が繰り返されます。
これは、一冊を通じて、一つの主張を組織的に説明し、確実に記憶に残そうとしている
ためです。「重要なことを読み落としたかも」「忘れてしまったかも」と不安になることなく、
終盤まで読み通すことができます。

必要なポイントを読書の流れの中で確実に覚えてもらうスタイルのため、「何ページに戻る」と
いうことが生じることが想定されていません。従って、細かい目次が付いていません。
個性的な表現で冗長なまでに同じ内容・同じパターンの説明を繰り返すのは、記憶への
定着を確実にするためです。その手法は、お経と似ています。

以上の「書評」を書いていた方々に、改めて、この場を借りてお礼申し上げます。
どうもありがとうございます。
正直ここまで事細かに著者としての意図が伝わっている書評をいただいたのは、驚きました。
著者冥利につきます。

私は全力で本書を書きましたが、伊達や酔狂で哲学のことを書いたのではありません。
関数型プログラミングは、「時間」を抽象的に論理化する手法であり、
そんなこと考えたことがない人がほとんどなので、どうしても、そこから始める必要がありました。

ただ、ざっくり話してもどうせまた色物扱いして終わらせようとするのが、
哲学を愚弄するものたちですから、歴史上のビジョナリーの方々の力をお借りして、
私の考えかたというのは、人類の長い知見の結晶である、と示したのです。

これは、伝わる人には伝わりました。本書は試みは紛れもなく成功した、と著者として報われました。
それ故、私はこの美点として評価していただく行為も含めて、封じ込めようとする行為、毀損する行為については、著者としての全責任において、このようなブログ記事で記録して、後世に残します。

「読んでも害しかない」と言うのは、上記「書評」より明白ですが、事実と異なります。
また、「タダでも読む必要のない(というより読むべきではない)書籍」というのも事実と異なります。

「テロ行為」は技術的正確性にも及んでいます。しかし私以外誰も咎めず、Amazonで、102 人中、93人の方が、「このレビューが参考になった」らしい

結城浩‏@hyuki
偏差値40のJCの関数型ガールも執筆してください — たぶん結城は書きません。2015年の春に憤っている関係者の中から、そのうちに良い本が出てくることを期待しています。まっとうな方が、まっとうな本を出すことを期待しています。 http://ask.fm/a/c3p98kne

「まっとうな方」であるかはともかくとして、読んでもおらない本について「まっとうな本」だのどうだの論じるのは、本当にいい加減にしていただきたいと思っています。

Amazonで、102 人中、93人の方が、「このレビューが参考になった」と投票されている、著書の「クロージャ」の説明が誤っているとの指摘が、誤っていることについて

Amazonレビューで嘘を書かないこと、それが技術的議論のための最低限の要件である

技術的に正確でない、と本書の出版について「2015年の春に憤っている関係者」は、まるで、こういう技術的正確性まで毀損する「テロ行為」の修正には関心がないようです。
何故ならば、「2015年の春に憤っている関係者」こそが「テロ行為」の当事者であったり、支援する層なのですから。

「2015年の春に憤っている関係者」を追認し、彼らに期待し、承認しているのが結城氏です。

「2015年の春に憤っている関係者」は一体全体、何に「憤っている」のですか??
著者としての私による「哲学的言及」についてでしょうか?

「2015年の春に憤っている関係者」は一体全体、何に「憤っている」のですか??
技術的正確性についてでしょうか?

じゃあなんで、Amazonで、102 人中、93人の方が、「このレビューが参考になった」
ということになっているのですか?

彼ら、「2015年の春に憤っている関係者」によるテロ行為であり、
本書を毀損することこそが「第一目的」であって、ほんとうのところ、
「技術的正確性」だの「初心者の誤解なきような理解」なんてことは、関心なんてないからですね。

デマでも嘘でも、流布されたら、本書が毀損されたらそれでいい。
広い読者に認められなければそれでいい、読書機会を奪えればそれで世のため人のためになる、
と本気で考えているのでしょうか?

読者の方が言われていたように、「余計なお世話」です。
彼らはご自身で考える力がある。
その機会を、きわめて巧妙に、横暴をもって奪おうとするのがあなた達です。
「テロ行為」と言われて妥当だと思います。

執筆とは、出版とは元来、自由な表現活動である

ボトムラインとしては、私は単に、「考え方」を提示しただけです。
自分が考える、また書籍を通じても、伝わる人には伝わり高い評価もいただいた、「考え方」「世界観」です。

本当にこの「考え方」を一部でも共有することにより、それはきっとプログラミングの世界の見方が変わる一助になると信じて全力で執筆しました。

執筆とは、出版とは元来、自由な表現活動であり、自身のスタイルも貫きました。
秀和システム社には、著者としての意向を最大限に尊重していただき、前代未聞でこのような批判があることも予知しながら、英断して形にしていただきました。本当にありがとうございます。

ここで、名前を上げた方々は、基本私は存じ上げない方ばかりですが、かような私と秀和システム社による、誇りをもって形にした出版行為について、「2015年の春に憤っている関係者」なるものが、出現し、あるものは自身の出版行為に利用するために、対象書籍を読むこともなく、「2015年の春に憤っている関係者」を無条件に承認し、彼らと一緒にその出版行為を貶め、あるものは、哲学的行為自体を貶めました。

執筆とは、出版とは元来、自由な表現活動です。それには文責が伴いますし、それ相応の批判を受ける覚悟は当然必要です。私もそれは受け入れる覚悟は当然持っています。

「書評」は歓迎します。
言論の世界の作法として、対象書籍を明確にしてください。
本書は、IQなんとかの本、ではありません。

言論の世界の作法として、論評するなら読んでください。
通読してください。できれば精読してください。

「含むものがある」著者に反発したいお気持ちはお察しいたしますが、
「2015年の春に憤っている関係者」なるものを無条件に承認し迎合するのは、
その極めて歪曲された一方的な「Disり」があなたの都合と合致するからに他なりません。

本当は、

『数学ガール』は読んでいない、と「縄張り」における「当然のリスペクト」が得られない、無視されたことに立腹して、機会に乗じた自身のブランディング行為、著書の宣伝なのではないですか?
違うのなら、なんでこんなくだらない恥ずべき真似を彼らと「対話」し、承認しながら一緒になって展開されているのでしょうか?是非説明してください。
念の為ですが、結城氏のTwitterは今回特別に部分的に精査しただけです。Twitterで「エアリプライ」を頂いてもこちらには届かないので、もしなにかあるのならばメールでおねがいします。

住井氏の関数型プログラミングとオブジェクト指向に関する主張、そして遅延評価についての主張は国際的には極めて特異な私見にとどまっており、
関数型プログラミングとオブジェクト指向のパラダイムとしての対立 国内の【自称】関数型コミュニティと海外の論調の違い
一般的説明ではなく、私見を学習者に権威を利用して押し付けるのみならず、見解が異なる相手の哲学的行為を「トンデモ」「低質なワードサラダ」「有害」と侮辱している、と批判した、私の著書が世の中で認められるとご自身の立場がなくなるのでしょうか。
住井氏におかれましては、すでに当ブログ記事を読まれたことを確認しましたが、すでにご反論があるのならば、直接メールをいただくようにも書きました。何かの権威であったり、代替案を示すことは、説明でも反論でもない、ことはすでに説明いたしました。もちろん、住井氏の一連の当方へのあからさまな侮辱行為について、代替案を示すことで、謝罪になるわけもありません。ほうったらかしです。

執筆とは、出版とは元来、自由な表現活動です。
あなた方の言論活動は自由ですが、私は今回、言論の作法を大きく逸する、極めて理不尽で、一方的な毀損行為が行われたと観察しています。故にこうやって批判しています。

本書のたいせつな潜在的読者の読書機会を奪わないでください。

あなた方には、今後ご自身の行動の修正機会が開かれているわけですが、正直私は何も期待していません。その是非については、今後長い期間、世の良識が判断すると信じます。

追記:大人のイジメ

*ある信頼できる方と本件についてメールをやりとしたときの私の返信に基づきます。

今回、XX少年のつらい経験を伺い、XX様の温和な人格形成の一端を垣間見ることができました。
私は本当に「イジメ」というのが嫌いです。

子供であっても「イジメ」は許されることではないですが、
よりによって、それを諭す立場の大人になってからも、
連中のように、ヘラヘラ笑いながら「いじめ」をやっている連中が絶対に許せません。
今回の事象でいうと、
2ちゃんねるスレッドの連中、
Hatenaブックマークの連中はもちろん、
【自称】関数型プログラミングコミュニティの連中、
「2015年の春に憤っている関係者」の連中のことです。

私がネットの誹謗中傷に人並み以上の嫌悪感を表明するのは、
それが「大人のイジメ」であるからに他なりません。
そして他ならぬ自分自身がその「イジメ」の対象となることを絶対に了としません。
多くの「大人のイジメ」に加担している連中は自覚もありません。
私が相手を名指しして批判するのは、少なくとも私が、その相手を
「イジメに加担している当事者である」と自覚してもらうことが第一義としてあります。
自分が「イジメ」に加担していて、良心が傷まないのか?と問います。

たぶん、XX様が私に好意的でおられるのは、
私達のこの「イジメ」に対する価値観が一致しているからだと思います。

これは大げさでもなんでもなく、私が「友人」として選ぶ、
というより自然と仲良くなる人の自然な選別基準は、
そのひとりの人間が「イジメ」を心より忌み嫌う人間であるかどうか、ということです。

私の友人には大人として「イジメ」に加担する人物はひとりもいません。
そもそも「イジメ」に加担する人物は、
イジメに加担するようyな歪んだ自身の人格の正当性を維持したいので、
自然と「ネットの誹謗中傷」に歴然とやり返す私のような人間を「叩く」ほうにまわります。
それがその人間の本性であり、そこが「踏み絵」です。
私と仲良くなることはまずありません。
逆に私に接近して声をかけ、仲良くしてくれるのは、
その「踏み絵」を踏んで、こちら側に来る人たちです。
「類は友を呼ぶ」。
私はこのように至らない人間ではありますが、
根底のその部分の価値観が一致する同類の人とだけ仲良くなります。

逆に言うと、私を叩く側にまわるような人間とは、
仲良くなる価値など最初からないので、
とても良いフィルターとして機能しています。

ちょっとまともに見える人が連中とともに私をバッシングしはじめたら、
私が名指しして批判するのは、今回の結城氏がそうですが、
さて、あなたはどっち側の人ですか?と衆人環視のもと「踏み絵」を差し出すためでもあります。

私の観察では、彼は「踏み絵」を踏むこと自体を巧妙にさけながら、
「あちらがわ」と連携しました。
正確に言うと、「踏み絵」を上手にまたいで、
「こちらがわ」に足が乗っているようにも見せています。
私はそれ自体が非常に胡散臭く感じて仕方がありませんでした。

私は幸いなことに、子供の頃イジメにあった経験はないですが、
XX少年の心を想像すると、いかほどに辛かっただろうと胸が痛みます。

自分が自分の子供の頃に戻れるわけもない、今の考えが岡部少年の行動ではありえない、
と思いながらも、もし自分がXX少年の立場になったならば、
担任に事情を説明し、学級会で、取り上げると思います。
その場で、教師を巻き込んで、多分いじめのメンバーを糾弾すると思います。
で、嫌われるんでしょうね(笑)
「あちら側」のろくでもない教師であったならば、教師にも厭われることでしょう。

そう考えると、XX少年っていうのは、すごいなあと心より尊敬するわけです。
岡部少年は。ひっくりかえっても多分そんな真似はできない。
多分イジメるやつを殴ると思うんですね。
そもそも、イジメるような連中に、なんの非もないこちらが努力してまで
仲良くなりたいとは思わないわけです。
たとえ、それによってクラス全員の嫌われものになったとしても、
イジメの対象になり続けるよりはマシだと考える。

大人になってからは、暴力に訴える必要はありません。
でも私は多分、XX 少年にはなれないでしょうし、これからも踏み絵を差し出すと思います。
建設的なメッセージは「踏み絵」を差し出す以上に、発信していきます。
しかし、私は多分、「大人のイジメ」について黙っていられるとは思えません。

続編というか補足解説をUPしています

99%のプログラマがIQ145のJKに「ダサい」と言われてしまう理由とは?【その1】「計算機科学のほんとうの基礎」を理解していない。IQ145のJKと同じ事を語るMITの権威とSICPという聖典の権威を借りてマインドコントロールを解いてみよう

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