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量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説01量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説02

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2015年1月28日水曜日

量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説01

これは連載記事です。

これは連載記事で、順次更新されます。

量子コンピュータとは?ひとことで

この宇宙があらかじめ持っている計算能力に量子のレベルでアクセスして計算するマシン。
ちなみに、よくある、量子ビット,キュービット、キュビット、クビット(英: qubit)、Qビット(英: Qbit)のお話は、量子コンピュータの原理を理解する上で結構どうでも良い、むしろ理解する上で妨げとなります。
量子ビット(Qbit)を単位とする量子ゲート方式は、量子コンピュータの具体的な実装方法を考案したデイヴィッド・ドイッチュによる最初の方式なのですが、これは量子コンピュータを実装する上で唯一の方式ではなく、おまけに現在かなり分が悪いので、ここから量子コンピュータの原理を学ばないほうが良いと筆者は思います。
以下の図のように日本独自の量子コンピュータとしての、「レーザーネットワーク方式」や後述するD-Waveの「量子アニーリング方式」など、現在複数の方式があります。

日本独自の量子コンピュータ ITPRO・日経コンピュータ の記事より引用 
量子ビット(Qbit)を単位とする量子ゲート方式の説明というのは、単に量子コンピュータの一つの実装の方式の説明にすぎません。
それは、いわばスペック解説みたいなもので、スペック解説をいくら読んだって量子コンピュータが超高速である原理なんてわかるはずもありません。
量子コンピュータが超高速である原理を理解するためには、この世界、宇宙がどうなっているのか?という深い理解が必要です。研究者・解説者、入門者、皆この一番根っこの一番大事な部分を「量子コンピュータの原理には関係ない」と思い込んで、不精してすっとばすからわけのわからないことになっているのです。
この記事では、全部の方式に共通する量子コンピュータの根本の原理つまり宇宙の仕組み、それから量子論について、そして何より大事な、そこに至るまでの科学哲学の歴史を中学生にも(多分)わかるレベルで解説していきます。
 

フリーの超高性能コンピュータはいかが?

「我々は、とにかく速いコンピュータが必要だ!欲しい。」
消費者は、年に何回も新しいコンピュータ(スマホ・タブレット・PC)に買い替え、アメリカも政府、大企業一体となり懸命に高性能なコンピュータを研究開発しています。
もうなんというか必死です。
「でも、それも最近どうも行き詰まってるんだよね〜先行き暗くて・・・」
どんよりと落ち込んだわれわれ人類ですが、何故かよくわかりませんが、毎度必ずそういう行き詰まった時に限ってとんでもないブレイクスルーが起こります。科学技術史を振り返ると、指数関数の尺度(ムーアの法則のように倍々ゲームなのでそうなる)では人類は必ず一定の速度で進歩し続けるようになっているのです。
「そこのあなた、超高性能コンピュータがあるんですけど、いかがですか?」
「お、いいね、計算速度は?」
「えー、お客様の科学力によってボトルネックはあるんですが、理論値だけで言ってしまうと、ほぼ無限の速度がでます。」
「冗談だよね?そんなコンピュータがあるの?」
「はい、あります。」
「でも、お高いんでしょう?」
「いえ、キャンペーンでも何でもないんですけどタダ(無料)でご用意できますよ。」
「ちょっと話がうますぎる気がするなー、現物見せられる?」
「もちろんです、こちらにお持ちしましょうか?」
「うん、頼むよ。」
「実は、この宇宙そのものです。」
「・・・・・えっと、説明書もらえる?」
「この宇宙そのものです。」
「・・・・・」

なぜ今、新しい原理のコンピュータなのか?

こたえは、「時代が求めている」からです。
AppleのiPhoneをはじめとして、毎年、いや半年に1回くらい、次から次へ新しいスマートフォンやらタブレットを大々的に発売開始している現状はみんなよく知っていると思います。
中身はもちろんコンピュータです。どんどん高機能になり小型化する、あるいは、前と同じサイズで高性能になっていく。
そして皆、新製品が出るたびに飛びつくように買っていますよね?
個人のスマートフォンだけではなく様々な分野でコンピュータの性能は高いに越したことはない、ネット接続も高速なほうがいいし、仕事のやり方も変わってきます。天気予報もコンピュータで精度があがるのだし、人工知能も普及してきました。
科学技術が進歩する。人々はそれを歓迎している。人類の科学技術の進歩は止まらない。そういう性質があります。事業仕分けで問題にもなった世界のスーパーコンピュータのスピード競争というのは、もうそういう人間の性であるとしか言いようがありません。
コンピュータの速度は年々速くなっています。
ムーアの法則
ムーアの法則(ムーアのほうそく、英: Moore’s law)とは、コンピューター製造業における歴史的な長期傾向について論じた1つの指標であり、経験則に類する将来予測である。米インテル社の共同創業者であるゴードン・ムーアが1965年に自らの論文上に示したのが最初であり、その後、半導体業界やコンピュータ産業界を中心に広まった。
「部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、毎年およそ2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、現状を維持することは確実である。より長期的には、増加率はやや不確実であるとはいえ、少なくとも今後10年間ほぼ一定の率を保てないと信ずべき理由は無い。」
集積回路上のトランジスタ数は18か月(=1.5年)ごとに2倍になる
1965年にムーアがこの法則を示唆して以来、2015年まで 実に50年間も、この法則のグラフの直線上に乗る形でコンピュータの処理能力は向上してきました。驚くべきことですね。
しかし、
ムーアの法則の終焉──コンピュータに残された進化の道は?
 マイヤーソン氏は、10年以上の長きにわたってシリコンゲルマニウムなどの高パフォーマンス技術の開発の最前線に立ち続け、2003年からはIBMのグローバル半導体研究開発部門の責任者を務めている。
 同氏は「ゴードンは天才だ。何十年も変わらない真実を人生の中で発見した、数少ない人物のうちの1人だ」とムーア氏をたたえる。しかし、ムーアの法則を裏付けてきたチップ製造テクノロジーは変わり、今やこの法則は限界に達してしまったとマイヤーソン氏は感じている。
 マイヤーソン氏によると、2005年のチップには既に、厚さがわずか原子数個分のパーツが存在したという。トランジスタのパーツがそこまで薄くなると、動作が変わってくると同氏は話す。
半導体業界は新たなテクノロジー、プロセス、業界の構造を生み出す必要に迫られている。ファブリケーションのテクノロジーとして現在注目されているのは14ナノメートルチップだ。「今後2~3世代のチップとシリコンは量子力学の世界に行ってしまい、通常のトランジスタのような動作ではない。だから今までの常識はもう通用しない」とマイヤーソン氏は語る。
同氏はそんな現在の状況を「ITのポストシリコン時代」と呼んでいる。ただしマイヤーソン氏は、現在のテクノロジーが、シリコンに代わる素材のチップが大量生産される段階まで進化しているとは考えていない。「シリコンはなくなるわけではない。しかし現在のポストシリコン時代では、シリコンであることのメリットはない。速くもなく、安くもなく、トランジスタのレベルで優れているわけでもないのだから」(マイヤーソン氏)
ムーア自身も
2005年4月13日、ゴードン・ムーア自身が、「ムーアの法則は長くは続かないだろう。なぜなら、トランジスタが原子レベルにまで小さくなり限界に達するからである」とインタビューで述べている。
ということで、さすがに行き着くところまで行ってしまった、原理的な限界に達したようです。原子より小さいトランジスタはちょっと考えられないだろうし、果たしてここまでなのでしょうか?
我々の直感では、コンピュータの歴史がこれで終わりになるはずがない、とわかります。これをもうちょっと体系的に整理した、レイ・カーツワイルという研究者がいます。彼のTEDカンファレンスでのスピーチ
カーツワイルは、ムーアの法則をより広い視点で拡張しました。
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ムーアの法則を、カーツワイルが拡張したもの(収穫加速の法則)。
集積回路の登場より以前のトランジスタ、真空管、リレー、電気機械式コンピュータまでさかのぼり、基本的なトレンドがパラダイムシフトによって維持されていることが示されている。
つまり、人類の科学の歴史を遡ると、ムーアの法則が語るトランジスタ式のコンピュータよりも前からコンピュータというものはあり、そこにもムーアの法則の直線が延長して成り立っている!
そして、過去から現在のみならず、今後の未来にも同じように適用されるはずだ!
ということですね。ある技術が行き詰まると「パラダイムシフト」があり、必ず次の技術へのブレイクスルーが起こると。
レイ・カーツワイル版拡張ムーアの法則によると、現行のコンピュータのシリコン・トランジスタ技術がムーアの法則の限界点にあるのだから、まもなく何らかのブレイクスルーが起きる
全く壮大で楽観的な経験則ではありますが、長い人類の科学史をみても、これは真理で必ずそうなっているのです。
そしてもちろん、来るブレイクスルーとは、現在注目を集めている量子コンピュータに他なりません。
D-Wave社の量子コンピュータは「本物」~米研究者グループが「量子効果を確認」とネイチャーに発表 (2013/7/1 11:09)
 カナダのD-Wave社が開発、販売した「量子コンピュータ」が本物である可能性が極めて高くなった。
 28日、米国の研究者グループがNature Communicationsに発表した論文の中で、「量子効果を確認した」と主張しており、この論文内容が認められれば、今世紀初め以来利用されてきたコンピュータの原理と本質的に異なる量子コンピュータが現実に商業的に販売されていることになり、これまでよりもはるかに高速に特定の問題を解くことが可能になる。
 D-Wave社は2011年に同社初の量子コンピュータ「D-Wave One」を発表し、米国最大の防衛産業企業ロッキードマーチン社との契約を締結した。また2013年5月には、米NASAと米Googleなどが購入契約を締結している。
 これまでD-Waveが量子コンピュータであるか否かについて、物理学者たちの間で意見の一致を見ていなかった。それでも確かに高速に問題を解くことができているとの見解が複数の研究者により繰り返し発表されてきた。
 今回、28日に南カリフォルニア大学のSergio Boixo氏とTameem Albash氏、Daniel A. Lidar氏らの研究チームがNature Communicationsに発表した論文「Experimental signature of programmable quantum annealing」の中で、D-Waveのコンピュータが古典力学に従うコンピューティングモデルではなく、量子力学的効果を使用していることが確認できたと主張している。
 Lidar氏は「8量子ビットを含む具体的なテスト問題を使用して、我々はD-Waveプロセッサは、量子アニーリングとは一致するが、古典的アニーリングの予測とは矛盾する手順で最適化計算を実行することを確認した」と説明した。また論文第一筆者のBoixo氏は「私たちの仕事は、純粋に物理的な観点から見たときに、量子効果がD-Waveプロセッサでの情報処理において、ある機能を持つ役割を果たしていることを示しているようだ」と説明している。
 「量子アニーリング」とは、量子力学的効果を使用して最適化問題、特に組み合わせ最適化問題と呼ばれる種類の問題を、これまでのコンピュータよりもはるかに高速に解ける汎用アルゴリズムを提供する。
 この種のコンピュータは一般的な意味での汎用量子コンピュータとは異なるが、量子効果を使用しなければ実現できないことから、本物の量子コンピュータの一種として認められている。
 しかしそれでも、D-Waveが主張するほど大規模な回路で実現できるかどうか、疑問の声が上がっていた。そのためこれまでは、量子効果を古典力学的にシミュレートすることで何らかの高速化を実現しているのではないかという疑いを持たれていたという経緯がある。
 今回の論文が他の物理学者達によって追認され、正しいことが確認されれば、D-Waveは世界で初めて本物の量子コンピュータを開発、販売したことになる。
 GoogleはD-WaveをNASAと共同購入し、機械学習などに使用することを明らかにしていた。
 一般に組み合わせ最適化問題で解ける問題の種類としては、カーナビのルート検索、学校やプロスポーツ界の時間割や対戦計画の作成、生産能力の違う工場の生産割り当て計画の作成、運送会社や大企業の配送ルートや計画の作成などがあり、計算速度は遅いためかなりの工夫が必要とは言え、実社会の現実問題で既に不可欠となっている。
GoogleとNASAが共同で“量子コンピューター”研究所を設立
(2013/5/17 11:49)

 米Googleは16日、米NASAと共同で量子コンピューターを使用できる研究所の共同開設を発表した。
 GoogleとNASAのエイムズ研究所は、共同で「Quantum Artificial Intelligence Lab(量子人工知能研究所)」を設立するし、研究所にはカナダのD-Wave社による量子コンピューターを設置する。この計算資源は、学術団体USRA(Universities Space Research Association)を通して米国内の研究者も利用できる。
 Googleの目的は、機械学習を進展させる可能性がある量子コンピューティングについての研究だとしている。機械学習には、数学的にNP困難と呼ばれる計算に天文学的な時間がかかる問題があり、これをより高速に解くために量子コンピューターが役立つとGoogleは考えている。
 Googleでは、既に機械学習のための量子アルゴリズムをいくつか開発したという。
 量子コンピューターを研究所に納めたD-Wave社は、研究所での用途として検討している内容として、「機械学習、ウェブ検索、音声認識、計画とスケジューリング、太陽系外惑星の探索、管制センターの運用支援」を挙げ、幅広い用途が可能だとアピールしている。
 また、納入プロセスの中で、D-Wave社製量子コンピューターが好成績を収めたとも説明。Google、NASA、USRAが作成した一連のベンチマークテストの結果、D-Waveのシステムはベンチマークの水準を満たしたか、要求水準を大幅に超える場合すらあったとしている。
 D-Waveの“量子コンピューター”については、本当の意味での量子コンピューターではないという意見も多く、議論となっている。
 2013年には、米Amherst大学のコンピューターサイエンスの教授がD-Wave製コンピューターに関する一連の計算実験を行った結果、特定条件下では、既存コンピューターよりも実際に高速であることを確認したと発表している。
 Amherst大学の5月7日付プレスリリースによると、研究を行ったのはCatherine McGeoch教授とSimon Fraser University大学院生のCong Wang氏。研究論文は査読の上、5月15日にイタリアで開かれた「2013 Association for Computing Machinery (ACM) International Conference on Computing Frontiers」にて、10ページの論文「Experimental Evaluation of an Adiabiatic Quantum System for Combinatorial Optimization」として正式に発表された。
 それによると、D-Waveのコンピューターは、特定の「組み合わせ最適化問題」と呼ばれる種類の問題で良い成績を収めたとしている。そして「量子コンピューターであるか否かに関わらず、研究する価値があるこれらの問題を解決するための興味深いアプローチだ」とコメントし、量子コンピューターであるかどうかの立場を定めることは注意深く避けた。
 その上で、D-Wave製コンピューターの計算能力について、「特定の問題については、テストしたサイズの問題であれば、私が知っているどんなものよりも数千倍も速い。もしそのサイズのより一般的な問題を解決することを望むならば、競合できるとは言える。私が見た最高のもののいくつかと同様にはできる。この点では単に平均以上というだけだが、有望なスケーリング軌道を示している」としている。
 今回、GoogleとNASAが「お墨付き」を与えたことで、他社も追随する可能性が出てきた。これはD-Wave社にとっての朗報にとどまらず、新アルゴリズムの開発によっては、将来大きな業界変動につながる始まりとなる可能性もある。
Googleはなんとなくわかるのですが、NASAとか米国最大の防衛産業企業ロッキードマーチン社というのはどういうことでしょうか?
NASAが航空宇宙技術のアメリカ政府機関ということは誰でも知っていますが、一般にあまり知られていないこととは、航空宇宙技術というのが軍事技術と表裏一体であるという「世界の常識」です。
建前上は、宇宙条約で宇宙の軍事利用は禁止されているのですが、政府機関なのだし、NASAのテクノロジーはぜんぶ軍事技術へフィードバックされます。そもそも、宇宙ロケット技術ってのいうのは、もともと軍事ミサイル技術なんですね。
いずれにせよ、そういうアメリカの航空宇宙産業やら軍事産業が、高速なコンピュータを本気で求めているのはなぜなんでしょうか?
宇宙物理学者で神戸大学名誉教授の松田 卓也先生によると、
基礎科学研究所
史上初の商業用量子コンピューター D-Wave
ロッキード・マーチン社の大きな問題は開発コストの増大である。そのなかでもF35などの戦闘機用に開発しているソフトウエアーの正当性の検証に費用がかかる。どんなプログラムにもバグがつきものである。正当性の検証に開発コストの半分が費やされると言う。その問題に主任科学者のネッド・アレン(Ned Allen)が取り組んできた。プログラムの検証方法として、デジタル・コードをアナログ・コードに書き換えて、それをアナログ・コンピューターで走らせることをアレンは考えた。量子コンピューターは1種のアナログ・コンピューターである
彼は量子コンピューターの専門家である南カリフォルニア大学のダニエル・ライダー(Daniel Rider)に相談したところ、D-Waveを推薦された。アレンはD-Wave社の量子コンピューターに関する論争を知っていたので、あまり乗り気はしなかったがライダーは強力に推薦した。そこでアレンは古い戦闘機F16のすでに開発されているコードをD-Wave社に送った。このコードにはバグがあり、社内の技術者がそれを発見するのに数カ月もかかったものである。そのバグはD-Wave社により6週間で発見された。そこでアレンは量子コンピューターの可能性を確信し、会社のお偉方を説得して量子コンピューターD-Wave Oneを買わせた。
今のジャンボ・ジェット機や特に戦闘機はコンピュータによって機体を制御しながら飛んでいます。フライ・バイ・ワイヤといいます。
フライ・バイ・ワイヤでは、パイロットの操作はコクピットで発信器を介して電気信号に変換され、電線(ワイヤ)により、飛行制御コンピュータ(加速度と傾き検知するセンサーとコンピュータを組み込んだもの)を介して油圧又は電動のアクチュエータに伝えられる。
今までの操縦システムでは、航空機の姿勢を変える場合には、一旦大きく動翼を操舵して姿勢を変えた後、反対に動翼を操舵してから中立の位置に動翼を戻す、当て舵と呼ばれる操作が必要だったが、フライバイワイヤでは、飛行制御コンピュータが計算して当て舵を必要な分だけ取ることが可能となったため、飛行性能が良くても、操作性や安定性が悪くて乗れなかった航空機を実用化できることが可能となった。
航空力学的に、安定した飛行機はそれだけキビキビと飛行しにくい、キビキビと飛行する飛行機はその分だけ安定性がないです。
それゆえ従来では、特に戦闘機では、ある程度の機体の安定性を確保するために飛行性能を出すには限界があった。まずは普通にちゃんと空を飛べないとお話にならないですからね。
しかし、常にコンピュータに機体の姿勢を制御させておけば、どうか?
飛行性能を最大限に重視して空力安定性なんてなくしたって飛べてしまうわけです。
逆に言うと、コンピュータの制御がないと戦闘機は墜落します。
コンピュータこそが機体の生命線であり、戦闘機のシステム(ソフトウェア)の不具合とかまず絶対に許されない。だからこうやって「正当性の検証」=デバッグにコストかけているんですね。
Dwave Oneという量子コンピュータは、1台10億円らしいです。。。
しかし、まあF35の開発費の半分がソフトウェアのデバッグというのは、びっくりです。多分、総開発費の内訳のソフトウェア開発費のうちの半分、ということなのでしょうが、米国防省筋の試算ではF35には既に開発費で30兆円程度を投資しているらしい、のでいずれにせよ、半端なく巨額です。なので10億円くらい払ってでも高速なコンピュータはほしい、ということなのでしょう。
かつて「インターネット」という新しいコンピュータネットワーク技術開発のスポンサーが米国防総省であったのもそれなりによく知られている事実ですが、かつてのその位置に今の量子コンピュータ開発があると看做してまず間違いないです。
Google、量子コンピューターの独自ハードウェア開発に乗り出す
(2014/9/3 11:04)

Googleというインターネット企業が量子コンピュータに大々的に投資しているのは、もちろん人工知能技術に使うためで、インターネットの次に世界を変える技術は量子コンピュータ(と人工知能技術)です。
そしてこのようなイノベーションに欠かせないのが経済的なコスト、つまりカネの問題です。
 
「電気代がサーバ本体よりも高くなる」–グーグルエンジニアが警告 2005/12/12 12:23
コンピュータの消費電力に対するパフォーマンスが今日のレベルから改善しなければ、マシンの運用に必要とされる電気代がハードウェア自体のコストを大幅に上回る可能性があると、Googleのあるエンジニアが警告を発した。
「コンピュータ機器の消費電力を抑えられなくなれば、地球環境全体への影響はもちろん、計算処理全体に関してコスト面で深刻な問題が生じる可能性もある」(Barroso)
Barrosoによると、Googleのコンピューティングインフラは、ここ3世代でパフォーマンスがほぼ倍増したが、消費電力あたりのパフォーマンスがほとんど変わっていないため、電力使用量もほぼ倍増したという。
Googleのデータセンターでは、主としてx86プロセッサを搭載したローエンドサーバを利用しているが、サーバの消費電力が1年に20%増加すれば、1台のサーバにかかる4年分の電気代が、典型的なサーバの購入費用である3000ドルを上回ってしまう。しかし、もし消費電力が年間50%増加すれば、電力料金が現状のキロワットあたり9セントを維持したとしても「2010年までに電気代がサーバ本体の価格を大幅に上回ることになる」と、Barrosoは説明している。
「CMPだけでは電力効率の課題を解決できない。今後2〜3世代のCPUで問題を緩和するのがせいぜいだ。長期的なトレンドに対処するには、基本的な回路やアーキテクチャの技術革新が依然として必要とされている」(Barroso)
これは、すでにもう約10年前の記事で、現在のGoogleのデータセンターでは、すでにサーバマシンのコストよりも電気代のほうが高いというのは知る人ぞ知る有名な事実です。Googleのデータセンター運営コストの7割くらいは電気代だということで、Googleはデータセンターを
  • 電力発電所の近くに作る
  • 電力を極力安く卸してくれる地域に作る
  • 冷却コストを削るために、なるだけ寒冷地に作る
という対策をとっているそうです。
サーバコンピューティングに限らず、我々消費者でも、スマートフォンやタブレット、ノートPCとバッテリ消費、連続稼働時間は結構深刻な問題ですよね。デバイスの性能は年々あがるが、常に充電のことを気にしていて、これは技術の進歩のボトルネックであるのは痛感するところです。バッテリというのは重量が重いので、大容量にすると、もちはこびに不便になる、というのも痛感するところです。
量子コンピューターは、現在のコンピュータの計算量と発熱やバッテリの問題を解決します。

量子コンピュータのホンモノ・インチキ論争、実現可能性と実用性、量子コンピューター学界の研究者や権威の信用性とポジショントーク

ふたたび、基礎科学研究所より抜粋しながら引用
史上初の商業用量子コンピューター D-Wave
 
グーグルが最近D-Wave社の量子コンピューターを購入して、NASAのエームズ研究センターに設置したというニュースが流れた。量子コンピューターの研究者たちの意見では、量子コンピューターはまだ研究段階で実用化にはほど遠いと言われていたから、このニュースは驚きである。
この会社の第一号機はアメリカの大手航空機会社ロッキード・マーチンに納入された。そして第二号機がグーグルに採用された。という事は、量子コンピューター学界の権威者たちが言うように、D-Wave社の量子コンピューターがインチキであると決めつけるわけにはいかない。そこで本エッセイではD-Wave社の量子コンピューターとはどんなものかについて報告する。
 
1.D-Wave社の量子コンピューターを巡る論争
研究者の中にはD-Wave社の量子コンピューターは全く量子コンピューターではなくインチキであるとまで言う者もいる。
D-Wave Defies World of Critics with ‘First Quantum Cloud’
D-Waveはカナダの会社であり、創始者のジョルディ・ローズ(Geordie Rose)は量子力学で博士になった人だが、ブラジル柔術の世界チャンピオンであり、カナダのチャンピオン・レスラーでもある。写真からいかつい風貌が伺える。まさに文武両道と言えよう。
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カナダの新聞紙 The Vancouver Sun より
ローズは大学で起業家を育てる授業を受けていた。そこで新しい企業を起こす議論がなされた時に他の学生が量子コンピューターの会社を作ってはどうかと提案した。ローズは量子コンピューターについてそれまでは知らなかったのだが、その話を聞いて勉強し、量子コンピューターを作る会社を起こそうと思った。講座の先生が数千ドル投資してくれた。それで会社を作ったのである。
D-Wave社は当初、他の研究者の量子コンピューター研究を支援した。その成果や特許は現在D-Wave社のものになっている。2003年にD-Wave社は量子コンピューティングの中でも、主流ではない特別の方法、断熱モデルというものを採用することにした。以下のローズのインタビューにその間の歴史が語られている。
<Financial Post-FP Innovators-Dr. Geordie Rpse, D-Wave>
断熱モデルを採用したことが長年の論争の始まりである。
というのは量子コンピューター学界の主流は別の手法、ゲートモデルというものを採用しているからである。学界のお偉方は実際に役に立つ量子コンピューターの完成にはまだ数十年を要すると言ってきたのである。
だからD-Wave社が、商用の「量子コンピューター」を売り出したと言っても、信じるわけにはいかないのだ。だから学界の主流はD-Wave社の量子コンピューターを認めないのである。(6/24 追加 D-Wave社がゲートモデルを捨てた理由は、ノイズの問題をクリアできないと判断したからである。しかし断熱モデルでは、これをクリアできていることは、実際に製品が出来ていることから明らかだ。0.02Kの低温度の達成と、磁場のシールドの技術がD-Waveのウリである。)
D-Wave社とローズが反発される別の理由は、多分ローズが権威を認めない生意気な若造であるからであろう。
さらにもう一つの表向きの理由はD-Wave社の秘密主義にある。彼らは最近まで研究成果の論文を公開してこなかった。これはアカデミックな世界では認められないことだ。
しかしアカデミックな研究機関ではなく、企業なのだからある程度の秘密主義は当然である。もっとも最近になって、研究者たちの論文がぼつぼつ公開されるようになった。例えば次の論文では、 D-Wave社の量子コンピューターの速度を検証している。その結果、特定の問題では普通のコンピューターの1コアの3600倍から1万倍の速さであることを実証した。
Experimental Evaluation on an Adiabatic Quantum System for Combinatorial Optimization
D-Wave社の最初のマシンは2007年に発表された16量子ビットのコンピューターであった。ビット数は毎年倍々ゲームを続けている。最新のマシンであるD-Wave 2は512量子ビットを採用している。ちなみに正統派の量子コンピューターはまだ試作段階でありここまでの量子ビット数は実現していない。次のビデオは量子ビット数の増加について示している。
<D-Wave Quantum Computer Scaling>
D-Wave社に対する風向きが、最近少し変わってきたのはアメリカの大手航空機会社であるロッキード・マーチンがそれを導入したからである。次のロッキード・マーチン社の宣伝ビデオでは、ロッキードと南カリフォルニア大学の人々が量子コンピューターの可能性について語っている。またアマゾンの創始者のベゾフやCIAもD-Wave社に投資することを決めたことが報道された。
しかし学界のお偉方の一人はD-Wave社の量子コンピューターなど、たとえ動いたとしてもその速度は携帯電話程度のものであろうとまで言っている。
しかし先に紹介した論文では特定の問題に関して、この量子コンピューターは普通のコンピューターの3600倍から1万倍速いということを示した。つまり実用に耐えることが分かってきたのである。
別の学者は、これは従来のシリコンコンピューターではないが、かといって真の量子コンピューターでもなく、一種の古典コンピューターに過ぎないが、有用かもしれないと主張し始めている。
また将来批判されるのを恐れて、批判するのをやめた学者もいる。
しかしD-Waveが真の量子コンピューターかどうかという宗教論争よりは、それが実際に役に立つかどうかが重要だと思う。現状ではアルゴリズムの研究がまだ不十分なので、その能力を十分に発揮できていない。普通のコンピューターに比べてそれほど速くないという主張は、生まれたばかりの赤ん坊に大人と競争しろと言うようなものだ。またいわゆる「真の量子コンピューター」は、まだ生まれてもいない胎児であるから、こちらは出発点にも立てない。さらに、それがたとえ生まれたとしても、現状ではやはり汎用コンピューターではなく、特殊目的の速いコンピューターに過ぎない。そうなら、すでに生まれた子供の将来に期待するのが良いかもしれない。
量子コンピューター学界の主流がD-Waveに批判的なのは、 1つには嫉妬があるであろう。彼らが長年にわたり一生懸命研究してきた「真の量子コンピューター」をさておいて、「まがい物」の量子コンピューターが「量子」コンピューターと銘打って市場に現れ、それが成功を収めたら面白くないだろう。またそれが社会の注目を浴びたら、主流派の研究者に研究予算が下りなくなるかもしれない。彼らはこれを1番恐れていると思う。
今後の見通しに関して筆者の予想を述べる。D-Wave社の過去の実績では、毎年量子ビット数は倍増している。
D-Wave量子コンピュータの構造上、量子ビット数は4倍ずつ増やすのが良い。すると2年後、つまり2015年には2048量子ビットを持つD-Wave 3が発表されるであろう。その調子で行けば、2017年には8192量子ビットになる。そのころになってもまともな「真の量子コンピュータ」が出来ているかはあやしい。
現在、世界で稼働しているD-Wave量子コンピュータは南カリフォルニア大学のものだけで、秋にはGoogleのものも稼働を始める。この計算時間の一部は研究者に公開されるので、応募して認められれば使用することが出来る。するとここ数年のうちに、さまざまな新しいアルゴリズムが開発されるであろう。米国やその他の国の研究機関でD-Waveを導入するところが現れるかもしれない。するとさらにアルゴリズム研究は進むであろう。研究費獲得の面でも有利になると思われる。一方、「真の量子コンピュータ」への予算配分は少なくなる可能性もある。
真の量子コンピュータは量子的もつれ(エンタングルメント)という現象を用いる。一方D-Waveはトンネル効果を用いる。どちらも量子的効果であるが、原理は異なる。真の量子コンピュータの問題点は、ノイズに弱いということだ。エンタングルメントがノイズによりデコヒーレンスして位相情報を失い古典的になってしまう。ローズがビデオで述べていることは、真の量子コンピュータはこの困難を乗り越えることができないだろうと、早くからあきらめて別のアプローチ、つまり量子焼き鈍し法を採用したのだ。それがすでに実用的なコンピュータを作れた理由である。
真の量子コンピュータは夢のコンピュータだと言われる。
核融合は夢のエネルギー源であると言われてきた。それは20年後には実現するだろうと、1960年代から言われてきたのだが、まだ実現していない。量子コンピュータも1980年代から夢のコンピュータだと言われてほぼ30年がたつ。10量子ビットを超えることは難しいと言われている。量子コンピュータが夢のコンピュータであるという意味は、私から見れば実現しない夢ということだ。
以上の松田先生の見解は、
松田卓也(まつだたくや)
1943年生まれ。宇宙物理学者・理学博士。神戸大学名誉教授、 NPO法人あいんしゅたいん副理事長、同付置基礎科学研究所副所長、中之島科学研究所研究員、ジャパン・スケプティックス会長。
という、「学会の中の人」で権威もあるからこそ、
量子コンピューター学界の権威者たちが言うように、D-Wave社の量子コンピューターがインチキであると決めつけるわけにはいかない。
とか、
研究者の中にはD-Wave社の量子コンピューターは全く量子コンピューターではなくインチキであるとまで言う者もいる。
とか、
学界のお偉方の一人はD-Wave社の量子コンピューターなど、たとえ動いたとしてもその速度は携帯電話程度のものであろうとまで言っている。
とか、
将来批判されるのを恐れて、批判するのをやめた学者もいる。
とか、
D-Wave社とローズが反発される別の理由は、多分ローズが権威を認めない生意気な若造であるからであろう。
とか、
量子コンピューター学界の主流がD-Waveに批判的なのは、 1つには嫉妬があるであろう。
とか、
「真の量子コンピューター」をさておいて、「まがい物」の量子コンピューターが「量子」コンピューターと銘打って市場に現れ、それが成功を収めたら面白くないだろう。またそれが社会の注目を浴びたら、主流派の研究者に研究予算が下りなくなるかもしれない。彼らはこれを1番恐れていると思う。
と生々しい分析をされるのだと思う。
実際、松田先生が考察されるとおり、現状まったく馬鹿馬鹿しいことになっています。
この記事は「ホンモノの量子コンピュータ」と「ニセモノの量子コンピュータ」を相対化して、根本原理を解説というアプローチなんですが、実際、
「q-bit形式はかなり重要なので量子コンピュータを学ぶには必須。それに、ここでq-bitを理解していないがゆえに筆者は多大な間違いを犯す」「D-Waveには重大な問題点がある。それが実際に量子論的な原理で動いているかどうか全く分かっていない」「少なくともq-bit形式の量子コンピュータはアナログコンピュータではなく、デジタルコンピュータである」「量子ビットを使う奴じゃないと量子コンピューターとは呼びたくないな…何か別の呼び方を考えてくれないか?たしか量子アニーリングマシン、という言い方があったと思うが。」
などという、面倒くさいコメントが続々と寄せられ始めているところです。
当初、ロッキード、NASA、Googleが「ホンモノ」のq-bitじゃないほうの「ニセモノの量子コンピュータ」を採用しはじめている直近事例を出したのでさすがにそういうアレなコメントもないだろう、と思ってた筆者が甘かったです。
後々、この記事でも科学哲学の章で書くのですが、人間って権威が大好きです。
なんでかっていうと?
① 寄らば大樹の陰で、安全欲求が満たされるから
② 偉い人が言ってるので正しいと鵜呑みにしていれば自分の頭で考えずに済むので楽ちんだから
③ 自分の懐疑的姿勢は常に新しいものに向け、権威には向けない、というのはやっぱり寄らば大樹の陰で、多数派になるし、権威の見解はフィルター済みと信用できるのでやっぱり自分の頭で考えずに済むので楽ちんだ
こういったところです。
権威主義に一番はまりやすいのは、学校で先生の言うことを良く聞いてお勉強するお利口さんにおおいです。
こんな感じの人
統計屋、経済学修士。言語処理とSFが好き。Clojure/Incanterを用いた統計分析についての質問大歓迎です
(あんちべ! 俺がS式だ)@AntiBayesian
http://qiita.com/kenokabe/items/92189d65801
これ眺めててうわーすごいなー(棒読み)ってなったのでちゃんと科学哲学の人が何とかして欲しいと言う思いがあるし、解釈は人それぞれなので、せめて参考文献と箇所を挙げて欲しいなと思いました
間違ってると思うモノに対しては真正面から間違ってるんでこことここ直しましょうって言うべきだと思うけど、この圧倒的な物量本当に凄いと思うし、これに対し全て誠実な返答を差し上げるの至難の技なので、きちんとした識者に何とかして欲しい #他人任せ
まず「具体的な批判」が一切なされていない。
なのになぜか「間違ってると思うモノ」とされている。
そして「こことここ直しましょう」と理由もなく何故か上から目線で、
「真正面から間違ってるんでこことここ直しましょうって言うべきだと思うけど」という言い訳、
「圧倒的物量」「だけ」は「凄い」という感じで、
それをもって「誠実な返答」(誰も質問なんぞしておらない)が「至難の業」というできない言い訳があり、
「ちゃんと科学哲学の人」「きちんとした識者」に何とかして欲しいという「#他人任せ」となっている。
ご覧の通り、この言説に「知的な活動」知的考察はなにひとつもありません。
観察されるのは「思考の放棄のみ」で、あとそれを正当化する「言い訳」ですね。誰でも追認可能だと思います。
そしてなにより最悪なのが「権威」に依存することで「思考の放棄」を正当化している。
「参考文献と箇所を挙げて欲しいなと思いました」これはHTML文書であり、出来る限りリンクを埋め込むようにしているわけですが、
えっと、それとも、
「ちゃんとした科学哲学の人」「きちんとした識者」による本稿とまったく同一のテーマをカバーする著作を読みたいということでしょうか?
そんなもんはないですよ?
誰も書かないから書いたんです。
「ちゃんとした科学哲学の人」ってどんな人ですか?
「きちんとした識者」ってどんな人ですか?
そして筆者がそこから問答無用に除外されている論理的根拠は何ですか?
こういうのを「権威主義」と言い、
科学的な議論では絶対にしてはいけない作法です。
他人の言説や知的主張を否定、批判するにはそれ相応の知的誠実さが求められます。
権威主義の主張の仕方ってのはこの不誠実さに含まれます。
少なくとも自分の頭で考えたことを具体的に論理的に提示しないと、
おはなしになりません。
さらに、この人物のツイートですが、
18:03 - 2014年12月22日
になされました。
(あんちべ! 俺がS式だ)@AntiBayesian
http://qiita.com/kenokabe/items/92189d65801
これ眺めててうわーすごいなー(棒読み)ってなったのでちゃんと科学哲学の人が何とかして欲しいと言う思いがあるし、解釈は人それぞれなので、せめて参考文献と箇所を挙げて欲しいなと思いました
これは、
キータ
‏@Qiita
800ストック! | 量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説 http://bit.ly/1zU7XJI
18:00 - 2014年12月22日
わずか3分前に当記事が800ストックに到達したQiita公式アカウントによるツイートがタイムラインに流れてきて、当記事を開いて、ざっとみた、
ツイートする時間があるので、正味せいぜい2分程度
この記事を眺めた上で、「何とかして欲しい」「間違ってると思うモノ」とか書いているわけです。
もちろんこの長い記事はたった2分では大筋の概要さえつかめるわけもなく、
要するにろくすっぽ内容を読んでもいないんですね。
読んでもいないのに、こういうことを言うというのは、
ただそう言いたいだけ、なにがなんでも貶めたいという意図があるということです。
こういうのは、主張ではなく、単なる侮辱であり誹謗中傷です。
学問に携わる人間としては、絶対にやってはいけません。
恥ずべきことなんですね。
繰り返します。
他人の言説や知的主張を否定、批判するにはそれ相応の知的誠実さが求められます。
「単なる感想だ」と逃げるようならば、
そういう人は真面目な議論の相手としないほうが良いでしょう。
時間の無駄です。そこになんら建設的議論は生まれません。
量子コンピュータというのはまさにカッティングエッジであり、状況はめまぐるしく変化します。
あとでまた歴史的経緯を詳しく解説しますが、量子コンピュータのqbit、量子ゲート方式を考案したデイヴィッド・ドイッチュの研究だって、最初は誰も相手にしなかったのです。
たまたま、ピーター・ショアが、この最初の方式で素因数分解に応用できることを発見し、それはすなわちRSA暗号の安全性の崩壊につながるので、世間を席巻したというだけのことです。
いつのまにか、「最初」に実装された量子ゲート方式が「ホンモノ」扱いされるようになり、いつのまにかそれが「主流派」となり「権威」となり、後発の実装が「インチキ」「まがい物」扱いされる。
そしてそれは、単なる権威への擦り寄りであり思考の放棄であり嫉妬という感情論であり予算確保の危惧という保身のポジショントークによるものになってしまっている。
まったくバカげた話です。
科学や学会というものは科学で学会なんだからフェアな論争の場が担保されている、と一般に思われがちですが、それは大きな間違いです。
すでにホンモノだニセモノだという全く意味のない権威まみれの宗教論争になっている研究者をさしおいて、実利を追い求める産業界のほうが先行しはじめています。
あと、多分、ホンモノかどうかわからない、と定義の問題化してずっと宗教論争している人らは、量子ゲート方式だけが高速になると理解しているつもりだが、実際のところなんでそれが高速なのか根本のところで全く理解しておらず、だから根本のところでまったく同じ理由で量子アニーリング方式が高速になる理由とか意味がわかってないんだろうな、と想像するものです。
量子ゲート方式と量子アニーリング方式そして日本のレーザーネットワーク方式も、すべて高速になる根本原理はまったく同じです。
「ホンモノ」の「量子ゲート方式」はアナログ・コンピュータです。
そして上位のレイヤーで「デジタル・コンピュータ」をエミュレートすることが可能です。
別に、qbit、量子ゲート方式だけが、ショアのアルゴリズムのように素因数分解に応用できるというわけではないし、古典的コンピュータ(デジタルコンピュータ)同様にチューリング完全になりうるわけではありません
ぶっちゃけ、そういう部分で筆者はイラッとしていたので、僭越ながらこういう記事を書いてみたという次第です。
松田先生は、
真の量子コンピュータは夢のコンピュータだと言われる。量子コンピュータが夢のコンピュータであるという意味は、私から見れば実現しない夢ということだ。
と結論づけておられますが、筆者も同じ見解で「ホンモノ」の「量子ゲート方式」の量子コンピュータは実用レベルでは実現しません。
まったく同じ根本原理でまったく同じ潜在能力をもつ別方式の実装がすでに実用化されはじめているんだから、実現不能な方式など無視しておけば良い、利用できる成果だけは利用させてもらう、というのはひとつの見識でしょう。
筆者は、q-bit方式を理解していないとはどこにも書いておらず、ただ
量子ゲートで演算を前提にq-bitでなんちゃらという「ホンモノ」の一般に難解でありがちな解説っていうのはアナログ・コンピュータの根本的な解説でもなんでもないし、そもそもその段階で「これがホンモノ」と洗脳されて、実際なぜ速いのか?という根本原理をわからず、わかったようなつもりなので「ニセモノ」だみたいな宗教論争になるのだろうと、と考えるし、この解説で同じ轍を踏むつもりはなく、その根本原理を説明するには根本のところまで探る必要があり根本の科学哲学からやるのが最善だろうという方針にすぎません。

デジタル・コンピュータとアナログ・コンピュータ

さて、上記ロッキード・マーチン社のくだりの引用部分には、量子コンピュータを知る上で見逃せない重要なポイントがあります。
プログラムの検証方法として、デジタル・コードをアナログ・コードに書き換えて、それをアナログ・コンピューターで走らせることをアレンは考えた。量子コンピューターは1種のアナログ・コンピューターである。
デジタル・コンピュータというのは、今みんなが使ってるそれです。スマホやPC、電卓、家電、自動車、普通に何にでも入ってるコンピュータのタイプです。
ムーアの法則のところで、今のシリコン・トランジスタ方式のコンピュータの速度が50年間、一貫して倍々ゲームだ、というのを説明しましたが、それより前の1950年代には、電子式アナログコンピュータというのが、開発されて実用化されていました。
アナログ計算機(analog/analogue computer/calculator)は、長さ、トルク(力)、電流・電圧などの物理量により実数値を表現し、そういった物理量を変換する物理装置により演算を表現して、問題を解くのに使われる計算機である。入力値と出力値にアナログ値を用いる。そのため計算結果は機器の精度による制限が技術的に加わる(これをダイナミックレンジという)。一般に計算が高速で、リアルタイム性を要求するシステムに適する。
アナログコンピュータのなかでも、電子部品(コンデンサ・コイル・抵抗器)で構築したものを電子式アナログコンピュータと言うみたいですね。
一般に計算が高速で、リアルタイム性を要求するシステムに適する。ということで、この電子式アナログコンピュータは、
フライ・バイ・ワイヤでも、
アナログコンピュータを使用した初期のものはアナログFBW、デジタルコンピュータを使用するものはデジタルFBWと呼ばれる。また電気信号を伝える電線を複数にして、多重系にすることにより冗長性を持たせている。
初期の戦闘機では、現行のデジタルでなく、アナログのほうのコンピュータが搭載されていました。戦闘機のシステムは当然リアルタイム性が要求されるので、アナログコンピュータの高速性が認められていたのでしょう。
ただし、アナログコンピュータは、なにかと使い勝手が悪い部分が多く、そのかわりになる自由度の高いデジタルコンピュータがすさまじい発展をし、速度ももろもろ合わせるとデジタルコンピュータのほうが有利になって、置き換えられてしまいました。
しかし、すでにみたように、デジタルコンピュータとしての現行のコンピュータが限界に来ている。
ロッキード・マーチン社の主任科学者のネッド・アレンは、当然そういうことを念頭において、デバッグ用途に限定したら、現行のデジタルより、以前使っていたアナログ方式のほうが高速に成りうるのではないか?と考えたのです。
そうすると、D-Waveという量子コンピュータを紹介されて、実際かなり高速だったので、10億円払って買った、ということでしょう。
ここで、なんとなく事の全体像が見えてきました。

電子式アナログコンピュータ
(昔から速かったけど、自由度低い)

デジタルコンピュータの登場
(自由度高い、十二分に速くなったのでアナログはお払い箱、でももう限界)

量子コンピュータとしてアナログコンピュータの復活
(デジタルの限界打ち破れるほどやっぱり速かった、自由度低いのは課題)

アナログ・コンピュータは何故速い?

さてここで、問答です。
Q.現行のおなじみのデジタルコンピュータが速い理由とは?
A.「ムーアとか半導体業界の中の人たちがトランジスタを小型化したり集積したりして一生懸命に研究開発したおかげで、彼らの努力の成果の結晶として年々倍々ゲームで性能あがってきたんだよね。」
そうですね。
Q.*この新しい量子コンピュータなるものにも通じる、一般に計算が高速で、リアルタイム性を要求するシステムに適するので初期のフライ・バイ・ワイヤに搭載されていたほどの計算能力をもつアナログコンピュータの速度の理由とは?
ロッキードの技術者が現行のコンピュータを諦めるほどに期待したアナログコンピュータなるものの速度の源泉とは?*
A.「・・・・・・・・」
このアナログコンピュータの計算能力のとんでもないポテンシャルの高さはそもそもいったいどこからやって来たのか?
この問いの答えがわかれば、量子コンピュータという代物が何故高速なのか?わかるはずです。

アナログ・コンピュータの本質的な正体を探る

この手の謎は、定義などを見てもよくわからないのが常なのですが、とりあえずもう一度、「アナログ・コンピュータ」の定義を見てみると、
アナログ計算機(analog/analogue computer/calculator)は、長さ、トルク(力)、電流・電圧などの物理量により実数値を表現し、そういった物理量を変換する物理装置により演算を表現して、問題を解くのに使われる計算機である。
大辞林:アナログコンピューター
数値データを電圧・抵抗・回転角などの物理量に置き換えて演算を行う計算機。この原理の最も簡単なものに計算尺があるが,ふつうは電気的量を用いるものをいう。計量型計算機。
アナログ・コンピュータは「スパゲティ・コンピュータ」という別名もあるようです。
量子コンピュータ!=並列コンピュータ 404 Blog Not Found
将来はとにかく、現段階では量子コンピュータは「スパゲッティ・コンピューター」の変種、と考えてもいい。ここでいうスパゲッティ・コンピュータというのは「スパゲッティ・コード」とは関係なく、O(1)でsortを実現する「コンピュータ」のこと。
ある数列をソートしたい場合、まずスパゲッティを各数に対応する長さに切りそろえ、それを手でまとめて「えいや!」とテーブルに立てる。あとはそこから一番長いスパゲッティを順繰りに抜けばいい。実際のところ切りそろえと「抜き出し」がO(n)なのだが、ソートそのものは「えいや!」のところで完了している。かなり昔のScientific Americanのコラム(多分Gardnerだと思うのだけど….いや、Dewdneyでした)に載っていた「コンピューター」だ。
この手の「物理計算機」は、例えば「ハイウェイの最適ルート問題」などに実際に使われているそうだ。各都市を最短距離で結ぶルートを出すには、地図を書いたアクリル板を用意して、各都市に対応する点に棒を立て、さらにアクリル版でそれにふたをする。そしてそれを石けん液にドボンと浸けて引っぱり出すと、石けん膜が最適ルートというわけだ。
計算尺は、機械式アナログ計算機です。
計算尺(けいさんじゃく)とは対数の原理を利用したアナログ式の計算用具である。棒状や円盤状のものがある。
ほとんどのものが乗除算および三角関数、対数、平方根、立方根などの計算用に用いられる。加減算を行えるものは非常に稀である。計算尺は結果をイメージとして示すものであり、得られる値は概数である。
特定の目的の計算に特化した計算尺も数多く作られている。航空エンジニア向けの航空機の燃料計算から家電セールスマン向けの電球の寿命計算、写真撮影用の計算尺式露出計、操縦士・航空士が航法計算に用いる「フライトコンピュータ(カリキュレーター)」など、さまざまな分野で特化型の計算尺が作られ、現在も様々な計算尺が製造されている。
1970年代頃まで理工学系設計計算や測量などの用途に利用されていたが関数電卓の登場で市場がなくなり、1980年頃には多くのメーカーで生産が中止された。

計算尺は興味をそそる不思議な存在でした
最近は計算尺を見る機会はほとんどありません。若い人にとっては、すでに「見たり触ったりしたこともない存在」になっていることでしょう。
私は子供の頃、叔父が持っていた小さな少し変わった「ものさし」を計算尺だと教えられて、何故「ものさし」で計算が出来るのか不思議で仕方ありませんでした。
動かしてみても特に何も起こりません。どう役に立つのかサッパリ分からないものでしたが、それでも何となく精巧に出来たハイレベルの品物だというイメージを持ちました。
たしかに、一体なぜ「ものさし」で乗除算および三角関数、対数、平方根、立方根などの計算が出来てしまうのでしょうか?
なぜ、スパゲッティを各数に対応する長さに切りそろえ、それを手でまとめて「えいや!」とテーブルに立てる、とソートができてしまうのでしょうか?
なぜ、地図を書いたアクリル板を用意して、各都市に対応する点に棒を立て、さらにアクリル版でそれにふたをする、それを石けん液にドボンと浸けて引っぱり出すと、石けん膜が各都市を最短距離で結ぶ最適ルートになるのでしょうか??
 
よくよく見ると、上の例での「計算速度」は「一瞬」です。正確には、手でものさしの目盛りをあわせる時間、スパゲティを立てる時間、石鹸膜が変化する時間と、たしかにボトルネックはあるようですが、計算自体は瞬時に終わっているようです。
一体全体なにものが複雑な計算を一瞬でしてくれているのか??

計算とは何か?

そろそろ「計算」「計算」って言われているうちに、読者自身も、
「ちょっとまてよ、計算ってそもそも何のことだっけ?」
と思い始めているはずです。
はい、そこ重要。
そもそも論として、量子コンピュータの
コンピュータ=計算機
とは、
コンピュート(=計算)する機械
のことです。
計算とは一体なんぞや?ここはっきりさせておこう。
小学校1年レベルのかんたんな計算を例にとりましょうか。
次の式を見てください。

1+1=

次に、スマホやPCの電卓にこの式を入力して、あなたの手元のコンピュータに実際に計算させてください。
こたえは?

2

になりましたよね?
今、

1+1  

という計算を実際にコンピュータにさせたわけですが、これは一体ぜんたい何をやったんでしょうかね?
もちろん、計算したんですが、その「計算」という行為の意味を考えているのです。
じゃあ、いったんご破算にしましょう。計算しなかったことにする。時間を巻き戻すでもなんでもよいです。とにかくリセットしましょう。
次の式を見てください。

1+1=

ただし、見るだけで、手元のスマホの電卓などのコンピュータで計算してはいけません。
この計算の結果は、もちろん
2
になるのですが、あなたの手元のコンピュータは、計算していないので、その答えを知りません。
では、あなたの手元コンピュータが計算結果を知らないから、この2という答えは消えてなくなるのでしょうか?
そうではない、あなたの手元のコンピュータが1+1=を計算しようとしまいと、その計算結果が2になるというのは「最初から決まっていること」ですよね?
「数学的な事実」と言っても良いでしょう。

1+1=2

というのは数学的な事実だ。
あなたの手元のコンピュータがそれを計算しようとしまいが、あるいはそもそも手元にコンピュータなんてなくても、まったく関係ない。

1+1=2

というのは、数学の論理であって、揺るぐことはありません。数学的事実です。
では、次の問題を見てください。

15129×395723=

そして、計算機・コンピュータを使わずに答えを教えてください。
答えは、数学的事実として「最初から決まっていること」です。
無理ですか?無理でしょうね。まあ、筆者も無理です。
こたえは、Googleで計算したら得られます。
  1. 数学の問題をキーボードなどを経由してマシンに入力する
  2. マシンとして計算し、結果をスクリーンなどに表示する
ここで、最初の「数学の問題」っていうのは、実は問題でもなんでもなくて、計算なんぞするまでもなく数学的事実としては「最初から決まっていること」なんですね。
数学的事実を、勝手に「これはムズい!」「問題だ!」とする人間様の都合でわざわざキーボードで物理的に変換してスクリーンの物質世界に展開している、と言い換えても良い。
計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開することです。
そして、
コンピュータとは、数学世界の数学的事実を物質世界に変換・転換する特別なマシンです。
実際、コンピュータっていうのは、数学世界と物質世界という2つの世界の境界を橋渡しする特殊なマシンなんですね。
あと、ついでに付け加えておくと、「暗算」する、あなたの脳も数学世界と物質世界という2つの世界の境界を橋渡しする特殊なマシンなんですよ。

科学史と科学哲学のはなし

「計算」の意味を考えるときに、「数学世界と物質世界」とか言い始めました。
そして、この記事は量子コンピュータについての記事で、量子論は絶対に避けては通れないし、ここわからないと、量子コンピュータについてわかったことにはならないのは当たり前ですね。実際、量子論をゼロからわかりやすく解説とタイトルに書いてしまっています。
量子論に触れる際には、科学哲学の素養がないとかなり辛いところがあります。
科学哲学は、物理学をやる上で背骨になるようなもので、一流の研究者は例外なくこの辺の素養があると断言しても良いでしょう。小学校で掛け算を習うと同時に、最低限の素養として九九を習うのと同じだと思う。もちろんプロの研究者でも、どの業界でもそうでしょうが人材はピンキリであり、ピンは極少数派です。
念の為ですが筆者はプロの研究者ではないし、読者も研究者になる必要はないわけですが、量子コンピュータの原理を知るためには、そもそもの「計算」の意味、「数学世界と物質世界」の関係、それを研究する物理学、量子論の理解が不可欠となります。その理解の土台となるのが科学哲学です。
「まあまあ、そこまではいいじゃないか、長くなるんだし」と誤魔化しません。
筆者は個人的にこれまで、すっとばすこともまずまず可能、といった感じで科学を学び、そういう解説にばかり数多く触れてきましたが、ろくなことはなかったです。断言しますが、ほとんどの理系の学生、研究者はこの辺全部すっとばしたままで惰性で研究しています。
この記事では、急がばまわれで、ちゃんとやる、というか徹底的にやります。かなり長いです。
量子コンピュータの原理を心底理解する、ということは、量子論のことをふくめ、この世界の成り立ちの真相をかなり深いレベルで理解することに直結するし、それはおそらく、ほとんどの読者の世界観(この宇宙の捉え方)の大幅な変更を迫ることになるでしょう。
世界観の大幅な変更を迫るからこそ、あらかじめその下敷きとなる科学哲学が不可欠です。
ただし、科学「哲学」であって、科学ではない、賛否両論がある哲学的な話題、解釈論(解釈の仕方)の領域までかなり大胆に踏み込む、つまり、反証不能な解説を含む事を予告しておきます。実際そういう喧々囂々もろもろまで全部含めて「量子論」なんですよ。

量子論を知るためには、常勝の思想=「プラトン哲学」の思想を知れ

プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。
「西洋哲学の歴史」どころか、現代科学に至るまで一貫して脈々とプラトン哲学の思想があります。プラトンはヨーロッパ哲学最大のビックネームです。
プラトン哲学の思想とは、科学史を振り返ると常勝の思想です。
プラトンの思想を理解するためには、ちょっと遡ってまずその師匠のソクラテスの思想を知る必要が有るでしょう。
コンピュータにしても計算にしても、我々の日常で馴染みの深い事柄だから、よくわかっている、というのは単なる思い込みです。
たとえば、我々は地面の上で暮らしているわけで、地面というのは、我々の日常で馴染みの深い事柄です。
われわれ人類は馴染みが深く「とても良く知っているよ!」となった結果、
地球平面説という宇宙論を固めました。

地球平面説(ちきゅうへいめんせつ)とは地球の形状が平面状・円盤状であるという過去の宇宙論。古代の多くの文化で地球平面説がとられており、そのなかには古典期に入るまでのギリシア、ヘレニズム期に入るまでの青銅器時代~鉄器時代の近東、グプタ朝期に入るまでのインド、17世紀に入るまでの中国がある。地球平面説は典型的にはアメリカ先住民の文化でも受容されており、逆さにした鉢のような形状の天蓋がかぶさった平面状の大地という宇宙論は科学以前の社会では一般的である。
地球球体説というパラダイムはピュタゴラス(紀元前6世紀)によって生み出されてギリシア天文学において発展したが、ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していた。紀元前330年頃にアリストテレスが経験的見地から地球球体説を採用し、それ以降ヘレニズム時代以降まで地球球体説が徐々に広がり始めた。
こういう「地球平面説」が「地球球体説」に取って代わられるまで、疑われることなく、信じて疑われなかったという歴史的事実から得られる教訓はとても大きくて、
「日常的に馴染みの深い自分自身の足元のことすら何もわかっていないけど、知っていると思い込んでいる」
「どうも人間というものは、知らないことにすら気が付いていないことが普通であるようだ、無知に無自覚すぎる」
ということですね。
これは、そこに名前がある古代ギリシアのソクラテスという哲学者
enter image description here
による言葉
「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」
「無知の知」のことです。 
それにしても、この「地球球体説」というとんでもないパラダイムを大昔にいち早く提唱した先見の明に優れている「ピュタゴラス」とはいったいどんな人でしょうか?
ピタゴラス
ピタゴラス(希:Πυθαγόρας[1]、英:Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた。
学説
ピタゴラスは、物事の根源、即ち「アルケーは数である」と考えた。例えば、男は3、女は2、その和5が結婚を象徴する、といった具合にである[2]。
ピタゴラス学派、ピタゴラス教団と呼ばれる独自の哲学学派は、哲学界における様々な定理を見出した(そのほとんどは、現在で言う数学のものである)。有名なピタゴラスの定理も、実は本人によるものではなく、この学派によるものである。この学派は五芒星をシンボルマークとしていた。
enter image description here
「物事の根源は数である」とするピタゴラスの学派、教団の信条ですが、これはその後、延々と現代まで受け継がれており、物理学の主要な転換点の原動力になっているように観察されます。
ピタゴラス学派は、「地球球体説」を提唱したこと、「物事の根源は数である」という信条で明らかですが、感覚や目の前の光景にまったく束縛されず、世界を抽象的に捉える思想です。
彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。
とありますが、プラトンは、「無知の知」のソクラテスの弟子であり、「地球球体説」をはじめて提示したピタゴラス学派の正当な後継者と言えるでしょう。

プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Platon、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた[1]。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする[2]。
哲学
イデア論
一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。
最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。
生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起されるのだとした。
なるほど
「思いなし」と「知識」の区別
ここ重要ですね。地球平面説みたいな
「ああ地面?よく知ってるよ!平面だよね!?」
という無知の知への自戒がない単なる思い込みと、理性的な知識を区別する。
数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、
数学・幾何学や問答を通して近接することができる
ここ重要ですね。常識に囚われず論理的に地球球体説をいち早く打ち出したピタゴラス派の影響です。「万物の根源は数である」という教義を継承しています。
その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」
イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。
そういうのを統合した抽象的な概念が「イデア」ということですね。
『超越的なもの』『普遍的なもの』があらかじめ人間に先立って存在するという思想で、これをプラトンは「イデア」と呼びました。
すでに日本語になっている「アイデア」の語源ですね。「アイデアが浮かぶ」と言います。誰が最初にこう言ったのか?おそらく明治維新の文明開化の頃、西洋の知識体系をまるごと和訳していた賢者、たとえば福沢諭吉とかあの系統の人らだと思いますが、言葉の意味にかなり忠実な表現です。「イデア」=「アイデア」とは考えるのではなく、頭の外にある、人間に先立って存在する超越的なものなので、ポンと浮かんでくるものだ、ということです。
実はイデアというのは、すでに語った数学世界の「数学的事実」と同じことです。
って知っていますよね?こんな形をした図形です。
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円は数学的な物体で、中心からの距離が等しい点が集まった曲線と数学的にちゃんと定義できます。
この定義が正しい証拠に、コンパスという道具をつかって、紙の上にぐさっと針をさし、ぐるりと回すともう一方の鉛筆が描いた曲線は円となります。小学校で誰でも習った数学的な操作です。
でも、それは本当に円になっていますか?数学的な定義を忠実に再現したのでだいたい円になってるけど、なんかぶれたり、紙にシワが寄ってイビツな円になった記憶はあると思います。
いくら完璧にやったつもりでも、ルーペで拡大すると、ガタガタになっているはずです。じゃあ、この上に表示している円はどうだ?コンピュータで書かれた図形だから完璧だろう!?
いや、コンピュータのディスプレイには解像度というものがあります。Ratinaディスプレイであろうとなんであろうと、どこかでガタガタになっています。
じゃあそもそも曲線だから、無理なのか、まっすぐな線、直線ならばガタガタにならないだろう?
直線でも無理です。そもそも線というのは、太さが無い点の集まりですね。
中心からの距離が等しい点が集まった曲線って、もしその曲線、線の太さがあったら、その線の太さの分だけ、中心からの距離がずれてきます。正確に厳密に少しの誤差もなく中心からの距離が等しい点を見極めそこに点を書くこと自体が無理です。だって鉛筆で点をうった範囲がぼやっとしているでしょう。紙にちいさい穴を開けたところで、穴があるってことは、その穴の広さというのはゼロではないし、Ratinaディスプレイに点を表示させても、その素子の部分の大きさがあるわけです。何やろうと無理。
つまり、数学的な点、線、円、なんてこの物質世界にはひとつも存在していないのです。
しかし、頭では想像できるし、それに近づけよう近づけようとする「完璧なゴール」は設定されている。そういう完璧なゴールのことを数学的事実といい、プラトンは「イデア」と名前をつけたんですね。
円という数学的事実がある。これをイデア世界の円とでも呼ぶならば、紙の上に書いた円、上でディスプレイに表示している円というのは、不完全なものです。
こういう事情を
物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。
と、まあ難しい言葉で言えるわけです。
円周率というのも学校で習いました。円の直径と周囲の長さの比率です。
円周率というのは、多分知っていると思いますが、

3.14159265358979323846264338327950288

と、無限に桁数が続いており、数値を全部書き表すことはできません。そして計算もしきれません。ずっと数値が続くので、永遠に計算するしかない。
しかし、円周率っていうのは「正確に存在」します。
「円の直径と周囲の長さの比率」ですよね。
数値で書き表すことは無理なら、記号を決めてやれば良い。

π

という記号で円周率を表すことが数学の習わしになっています。
これは「正確な円周率」です。
こういう

π

っていう正確な数学的事実というのは、プラトンのいう「イデア」です。円という図形とかπという数学的事実はイデアですが、ぶっちゃけ他の

123456

という数字、数値だって数学的事実でプラトンのいう「イデア」です。
いやでも、それはりんごが1個2個というのと正確に対応している、と思うかもしれませんが、それはこういう数の概念を導入するときに、両親や学校の先生から、そう教わって「数」という概念を獲得したという経験からそう思うわけです。
現実の物質世界と正確に対応しているか?なんてのは、数という数学的事実とはなんの関係もないことです。
ここ重要、数が物質世界と1:1で対応しているなんて、意味のない考え方で、ここ陥りやすい罠なんですね。
その証拠に、

0

ゼロ、という「現代人ならば誰でも知っている数」は人類は長いこと知らなかったんですよ。
なぜならば、ゼロというのは「無い」という概念であり、現実には無い、からですね。
円という数学的事実、概念はある。
線という数学的事実、概念はある。
点という数学的事実、概念はある。
でもそんなものは、物質界にはひとつもない。
線の太さはゼロである。
点の大きさはゼロである。
ゼロという「無い」太さや大きさの数学的事実として存在している。
マイナスとか負の数はどうですか?
大きい数から小さい数を引く、と小学校で習います。
小学校では、数という抽象的な概念は、なるだけ物質世界の物体と対応させることで導入していくので、
りんご5個あって1個たべたら5−1=4だ、と習います。
大きい数から小さい数を引くのはできる。
でも3−7とか、物質世界と対応できないので、計算できない習う。
中学1年の数学ではじめて負の数を習います。
実際、ゼロもそうであったように、人類がマイナスの負の数の概念をはじめて知ったのはそんな大昔ではありません
負の数は中国では紀元前100年ごろの数学書『九章算術』で扱われていた。また、インドでは7世紀ごろには負の数が使われていたという。しかし、ヨーロッパでは負の数が数の一部として認められるのにはかなり時間がかかった。このことを示すものとしてよく話題に上るものは、17世紀の数学者であるパスカルの著書『パンセ』の中にある「私は0から4を引けば0であることのわからぬ人を知っている」という言葉である(ただし、パスカルが本当に負の数を理解していなかったのかはわからない)。
さて、ヨーロッパに負の数が紹介されたとき負の数は「借金」として紹介された。
借金もそうだし、温度、というのを数値化した世界では、普通にマイナスは出てきますね。
でも、現実、物質世界と対応するか、そういう数学的事実がある、とかない、とかいうのはまったく意味がありません。
すでに何度も強調しているように、数学的事実=イデア世界は、物質世界に関係なく存在しているからですね。
では、虚数という数学的事実=イデアはどうでしょう?
知らない人、忘れてしまった人のために復習すると、
虚数というのは、

?×?=1

というように、何かを二乗するとマイナス1になる数です。
中学校の数学(教科書)で「負の数の平方根は存在しない」という設定なので、「そんな数など存在しない!」ということになっているようです。
これまた人類も、結構最近までバリバリの数学者でさえもそう信じていました。
虚数・複素数
16世紀のイタリアの数学者、カルダーノが三次方程式の解の公式を公表したとき、二乗するとマイナスになる「奇妙な」数が登場してきた。これが虚数(きょすう)である。そんな数があるのかと思うかもしれない が、
x2+2=0
という二次方程式を解いてみればわかる。これを解くと
x=±2
になり、2乗するとマイナスになる数が存在することがわかる。
この数の存在は当時の数学者にとって、当時負の数すらなかなか認められなかった中で、さらに奇妙なものに見えたが、これを使わなければ(x-1)(x-2)(x-3)=0のように因数分解できるもの以外の三次方程式は解けなかった。また、この数を使えば二次方程式もすべて解くことができる。そのため虚数は数学者たちに「しぶしぶ」認められた。ここで「しぶしぶ」といったのはこの奇妙な数の命名に見られる。この数はデカルトによってnombre imaginaire(英語に直せばimaginary number)と名付けられた。つまり、「計算上存在する想像上の数」というわけである。
「奇妙」に思えるのは、無意識に数学的事実を現実の物質世界と対応させて考えているからであって、論理的には全部つじつまがあっています。
この数はデカルトによってnombre imaginaire(英語に直せばimaginary number)と名付けられた。つまり、「計算上存在する想像上の数」というわけである。
デカルトは科学哲学においてたいへん重要な人物なので、この記事で後から詳しく出てきますが、かなり頭の切れる数学者です。しかし彼でさえ、
「想像上の数」とか名前をつけてしまいました。
いやいや、そもそも、ゼロもマイナスも現実の物質とは対応するはずもない「想像上の数」であって、自然数である、1,2,3,4,5というのは、一番わかりやすく現実の物質と対応するというだけのことなのです。
円も線も点も、全部「想像上の数学的な物体」でしかなく、現実の物質世界には、そんなものはひとつも存在しません。
だから、虚数だけ、「虚」だの「想像上の数」(imaginary number)というのは、はちゃめちゃな作法で、まったく筋の通らない話です。
虚数は、現実の物質世界にあるのかな?ないのかな?と物質に対応させようとして、ないな、今までの数学の範囲からもはみ出す、だから想像上の数だ!とやらかしてしまうのは、プラトンのイデアの哲学を知っていれば、なんだかなーとわかるはずですが、ソクラテスの「無知の知」よろしく、わかったようになるのは簡単なので、哲学的素養もある当時の最高レベルの数学者でさえ、こんな調子なのです。
ソクラテスの「無知の知」とは、「何にも知らないことを知れ、謙虚になれ」っていうことよりもむしろ、「わかったような気になるのは簡単なのだから、肝に命じて警戒しろ!」ということです。
プラトンのイデアの哲学だって、字面だけ読んでいれば、
「なるほどね、了解了解、わかるよ」
と、なんとなくわかったつもりにはなるのは超簡単なのですが、
実際ほんとうにそれを自分の思考パターンとして活用できるか?というとかなり難しいのです。
何故ならば、「地球平面説」や「天動説」のように、足下のことなんて熟知しているという「無知の知」への警戒心がなく、なんでもわかっているつもりの常識に囚われているからですね。
「常識を疑え!」っていうのは、現代社会でもよく言われています。
「なるほどね、知ってる知ってる」と思いがちです。
「まあ、慣習をうちやぶれ、みたいなことでしょ?」と思いがちです。
しかしこの「常識を疑え!」という思想の源流は今みてきているような、ソクラテスの「無知の知」、プラトン哲学にあります。
デカルトが見事に虚数(imaginary number)と想像上の数と命名してやらかしたので、現代でも、理系教育を受けた人間、プロの研究者でさえ、
虚数?現実の物質世界には存在しないし、だから物理や工学の理論に虚数でてくるけど、あれは「方便」であって、「単なる便利な道具にすぎない」よね?
みたいなことを平気でいうひとがゴロゴロいます。
「数学は物理の道具にすぎない」という人がいたら、プラトン哲学の素養があるかどうかまず確認したほうがいいかもしれません。そうでなければ根本のところで話が通じない可能性が高いです。
しかし、彼らにも一応、哲学的思想の裏付けというのは用意されていて道具主義、そして論理実証主義と言います。
道具主義というのは、プラトン哲学の素養がなく、虚数が想像上の数だ、と素朴に感じる人々にとっては取っ付き易い主義です。
一種の実用性を重視するわりきり思想、面倒くさいことは考えないでおこうという思考の放棄ではありますが、こういう「なぜ量子コンピュータが高速なのか?」みたいな宇宙の本質を思考する際には、まったく役に立ちません。「考えるのは面倒だし、考えるのをやめて実用性を重視する」という思考法だからです。
道具主義、論理実証主義には一応歴史的な権威の裏付けみたいなものがある、と勘違いされています。その権威とは、ニュートンです。
これも後で書きますが、ニュートンが万有引力の法則を発表したときに、例にもれず結構な批判を呼びます。
何故ならば、誰も見たことがない2つの物体の間の引力なんていういうオカルト遠隔力を数学の方程式をもって抽象化してしまったからです。
これはとりもなおさず、「万物の根源は数である」とした、ピタゴラスの流れを組む、プラトン哲学のイデア化に他なりません。
だから、ニュートンは「数学は物理の道具にすぎない」なんて思ってるわけもなく、「どうやら宇宙は神によって幾何学(数学)でつくられているようだ」とバリバリのプラトン哲学派でした。
慣れ親しんでいるはずの重力を、オカルト遠隔力と数学の方程式にされてしまった。納得できない!
そういうプラトン哲学の素養にかける人々がニュートンを心理的に批判したのです。
仕方がないので、ニュートンは、その万有引力の法則を含む著書、プリンキピアに、「うるせーよ、説明せずとも、とにかく抽象化できるんだよ」という意味の「私は仮説を立てない」と追記します。
本心は、「どうやら宇宙は神によって幾何学(数学)的につくられているようだ」ということですが、科学論文だし、ややこしい神学論争になるわけで、非ピタゴラス・プラトン派に向けて「うるせーよ、これ以上説明しない」と書いたんですね。
繰り返しますが、ニュートンの思想は、今の道具主義の「数学は物理の道具にすぎない」とは真逆の立場のプラトン哲学派の思想です。
量子力学は、道具主義や論理実証主義によって発展してきたのですが、それは「当時はそうするしか前に進む方法がなかった」からです。
しかし、2015年現在、それももはや袋小路に入ってしまっていることも含めて、長くなるし、後でまた書きます。
 
さて、ゼロ、マイナス、円、線、点、それから虚数というのは現実の物質世界には存在しないし、1,2,3,4という自然数も、単に現実の物質世界に対比しやすいだけで、別のところにある数学的事実=イデアだと説明しました。
円周率も数学的事実ですが、正確に全部計算して数値を求めることはできないんですね。
計算不可能、ということです。
円周率は小数点以下、数字が無限に続くので、コンピュータでは計算しつくすことは絶対に不可能です。
さてこのピタゴラス・ソクラテス・プラトン系の思想としての凄さは、こういう地球球体説、地動説などなど、当時からの常識に囚われず、ブレイクスルーを起こしてきた常勝の思想であるということです。
  • 「万物の根源は数」のピタゴラス学派
  • 「無知の知」のソクラテス哲学
  • 物質界とは別にイデア世界が存在するというプラトン哲学
系統の1本の糸があるのです。
「無知の知」「地球球体説」「地動説」「万物の根源は数」「物質世界の他にイデア世界がある」
 
このピタゴラス→プラトン系の思想をまとめると、こうなります。
身近な日常としてよくわかってるつもりだろうが、そういう思い込みや固定観念に反して、数学世界というものが物質世界とは別に存在しており、あなたの感覚で捉えられる物質界なんかよりも、感覚で捉えられない抽象的な数学世界のほうがむしろ根源的で本質的なんですよ、という思想。
もちろん、プラトンはイデアを厳密に数学、論理に限定していたわけでなく、善とか神とか含めているわけですが、万物の根源は数であるというピタゴラス学派の系譜で、イデアを数学、論理と緊密に結びつけて論じていたのは間違いありません。
  
とりあえず、こういう「イデア世界の実在」が正しいという見解は、徹底的な心理的な反発を受けます。
なぜならば、地球平面説の教訓のように、
「日常的に馴染みの深い自分自身の足元のことすら何もわかっていないけど、知っていると思い込んでいる」
「どうも人間というものは、知らないことにすら気が付いていないことが普通であるようだ、無知に無自覚すぎる」
というソクラテス哲学の知見、無知の知への警戒心があまりないからですね。
古代いちはやく「地球球面説」(=正しいとあなたは知っている)
を打ち出したピタゴラス学派による
「万物の根源は数である」という主張が正しいはずがない、とする心理的根拠は、「日常的な経験からそんなはずはない」とする「地球平面説」派の心理的根拠とまったく同等なのです。
プラトンは、ソクラテスの弟子でありソクラテスに心酔しており(実際、ソクラテスが有名なのは、プラトンがソクラテス哲学の本を書いたからです)、「無知の知」を徹底的に叩きこまれていたからこそ、物質世界とは別のイデア世界の実在、みたいなことを大胆に宣言できたんですね。
今くどくどと話していることは、量子コンピュータの原理を理解するための世界観、宇宙観を獲得するための肝であり、その過程でまあ多分、普通に生じると予想される読者の心理的葛藤を歴史的にあらかじめ追体験してもらっているのです。

「プラトン師匠の哲学はオカルト。見えてるものを、ものがたりとして語ろうよ。」byアリストテレス

古代ギリシアのアテナイ(現在のアテネ)には、プラトンが創設したアカデメイア(現在のアカデミーの語源にもなっている)という学校があったんですが、そこにひとりの頭が切れる若者が入学してきました。
アリストテレスです。
アリストテレスは師匠のプラトンが、数学やイデアという物質世界から遊離した抽象的な世界を根本においたのはまったく異なり、いろんな物質がそれぞれもっている本来の性質によって世界は動いていくという「ものがたり」で世界を説明する哲学者になりました。
なんと師匠の哲学をガン無視したのです。まあ哲学者としては素晴らしいですね。権威にまったく左右されないこの姿勢は見事です。

もちろん公然と「プラトン師匠の哲学はオカルト。」なんて言った記録もないでしょうが、「イデア」のイの字もない、実質プラトン哲学のイデアを完全否定のまったく対極に位置する哲学です。
アリストテレスは世界ではじめて天動説も理論化してまとめあげました。
天動説(てんどうせつ)とは、地球は宇宙の中心にあり静止しており、全ての天体が地球の周りを公転しているとする説で、コスモロジー(宇宙論)の1つの類型のこと。大別して、エウドクソスが考案してアリストテレスの哲学体系にとりこまれた同心天球仮説と、プトレマイオスの天動説の2種がある。単に天動説と言う場合、後発で最終的に体系を完成させたプトレマイオスの天動説のことを指すことが多い。現在では間違いとされる。

これは「アリストテレス的宇宙観」とも呼ばれるもので、その後、延々と継承されます。
アカデメイアの師匠のプラトンは、善のイデアである太陽が宇宙の中心にあると考えていました。体系化はしてませんが、ざっくり地動説派だと言ってよいでしょう。
  • プラトン 世界をイデア(数学)で説明する。地動説派
  • アリストテレス 世界をものがたりで説明する。天動説派
まあ、この思想の差はかなり本質的で、大きいです。
アリストテレスの思想、世界観は、
ピタゴラス・ソクラテス・プラトンの系統とまるで思想が違うのです。
師プラトンと弟子アリストテレス、
このたった一世代の師弟の思想の対決が、その後の人類の運命を決定づけます。
我々人類は、
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派
とわかれ、この瞬間から後世までおおよそ2000年以上の長きにわたり激しい対立を巻き起こします。
足下の地球に軸足を置いて、太陽のほうが回る、という説明もそうですが、アリストテレス的宇宙観は、あくまでも目の前の現実を重視して、とにかく、それぞれの物事に特有な性質のレッテル貼りをして、全体をうまく説明しようとする、そんな感じです。
まあ、後出しジャンケンで申し訳ないですが、だいたいそんな感じです。

アリストテレスの教え子アレキサンダー大王と学術世界都市アレクサンドリアの科学者たち

アリストテレスはマケドニア王国に王子アレクサンドロスの家庭教師をやってくれ、と招かれます。
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これが後のアレキサンダー大王で、当時としては最高の教育を受けたバリバリの知的エリートです。
アレキサンダー大王は、世界帝国構想(コスモポリタニズム)を持っており、知力、武勇、カリスマ性すべて兼ね備えていた武将でした。
東に東に王国を拡張していき、

帝国を築き上げます。
エジプトのファラオにも就任したということで、とんでもない大帝国です。
アリストテレスっていうのは、大帝国のアレキサンダー大王の家庭教師として彼の知的リソースであったわけで、「知の巨人」として祭り上げられます。
アリストテレス大先生の言う事ならば間違いない!
権力の裏打ちがある権威主義で圧倒的な政治パワーが味方したのはまず間違いありません。
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派
アリストテレス的宇宙観の圧倒的な優勢!
アレキサンダー大王がアリストテレスを家庭教師につけたときに一緒に学んだご学友にプトレマイオスという人がおり、後にアレキサンダー大王の側近の武将となり、アレキサンダー大王の死後、彼は帝国を分割統治するエジプトのファラオになりました。プトレマイオス朝といって、ちなみに最後のファラオはクレオパトラです。
プトレマイオス朝の首都はアレキサンダー大王が漁港を遠征の駐屯地としていたアレクサンドリアで、そこに世界都市を作りました。

世界の七不思議にもなっている、全高は約134mで建造当時は地球上で最も高い人工物、大理石でできていた
アレクサンドリアの大灯台
アレクサンドリアは「世界の結び目」と称され、「アレクサンドリアにないのは雪だけ」と言われるほどまでに繁栄していました。
プトレマイオスもアレキサンダー同様にアリストテレスから学んだ知的エリートで学問の重要性を理解していたので、ムセイオン(ミュージアムの語源)という一大学術センターを作ります。ムセイオンには当時世界最大のアレクサンドリアの大図書館を併設していました。
アレクサンドリアの大図書館にはなんと70万冊の蔵書がありました。これは、現代の中堅都市の市立図書館や大学図書館に匹敵する規模です。このすべてが学術書であることや、そもそも古代において書物なんてものはごくごく数が限られていた、というより現代の感覚じゃほぼ存在しないに等しい(今みたいに印刷された本が誰でも本屋で安価に手に入れられる時代じゃない)ことを考えれば、驚くべき知の集積です。
どうやってこんな膨大な書籍を蔵書できたのか?
アレクサンドリアの大図書館には「略奪文庫」という異名があります。
「書物を持ってアレクサンドリアに入った者は、原本を図書館に寄託し、その代わりに写本を受け取るように」と命令が下るほどに、世界中のあらゆる書物をこの図書館に徹底的に収集、もしくは強制的に徴収して組織的に写本、ギリシア語に翻訳することで膨大な学術文献を蔵書していたのです。
エジプトはパピルスという紙を作る本家本元なので、筆記媒体には事欠きませんでした。
情報メディアというのは重要で、パピルス以降、現代に通じる紙が発明された中国の後漢にしろ、それが伝播したイスラム社会(イスラーム黄金時代)にしろ、グーテンベルグの活版印刷にしろ、メディアの革新は情報共有の量とスピードのレベルを変えるので、情報革命となり、飛躍的な文化、技術の進化をもたらします。現代でいえば、もちろんこの記事の本論であるコンピュータとインターネットです。
この頃、アレクサンドリアのムセイオンに集う学者には、日本の算数、数学で習う幾何学=ユークリッド幾何学ユークリッド や、理科の浮力の原理で習うアルキメデスという数学者、科学者がいました。
彼らは「紀元前」の人なので、そういう古代の学問をそのまま現代の科学の義務教育で習う、というのは驚くべきことです。いかに当時アレクサンドリアで科学技術が発展したのか、という証左です。
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アルキメデス(Archimedes、希: Ἀρχιμήδης、紀元前287年 - 紀元前212年)は、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者。彼の生涯は全容を掴めていないが、古典古代における第一級の科学者という揺ぎ無い評価を得ている。彼が物理学にもたらした革新は流体静力学の基礎となり、静力学の考察はてこの本質を説明した。彼は革新的な機械設計にも秀で、シージ・エンジン[1]や彼の名を冠したアルキメディアン・スクリューなどでも知られる。また、数々の武器を考案したことでも知られる[2][3]。
一般には、アルキメデスは史上まれな偉大なる古代の数学者という評価を受けている[4][5]。級数を用いて放物線の面積を求める取り尽くし法[6]、円周率の近似値計算[7]、彼の名で「アルキメデスの螺旋」とも呼ばれる代数螺旋の定義[8]、回転面(en)の体積の求め方や、大数の記数法も考案している[9]。
アルキメディアン・スクリュー
アルキメディアン・スクリューは効率的な揚水に威力を発揮する。
工学分野におけるアルキメデスの業績には、彼の生誕地であるシラクサに関連する。ギリシア人著述家のアテナイオスが残した記録によると、ヒエロン2世はアルキメデスに観光、運輸、そして海戦用の巨大な船「シュラコシア号」[26] (en)の設計を依頼したという。シュラコシア号は古代ギリシア・ローマ時代を通じて建造された最大の船で[27]、アテナイオスによれば搭乗員数600、船内に庭園やギュムナシオン、さらには女神アプロディーテーの神殿まで備えていた。この規模の船になると浸水も無視できなくなるため、アルキメデスはアルキメディアン・スクリューと名づけられた装置を考案し、溜まった水を掻き出す工夫を施した。これは、円筒の内部にらせん状の板を設けた構造で、これを回転させると低い位置にある水を汲み上げ、上に持ち上げることができる。ウィトルウィウスは、この機構はバビロンの空中庭園を灌漑するためにも使われたと伝える[28][29][30]。現代では、このスクリューは液体だけでなく石炭の粒など固体を搬送する手段にも応用されている。
アルキメディアン・スクリューは、ねじ構造を初めて機械に使用した例として知られている。ねじ構造はアルキメデスのような天才にしか思いつかないという人もおり、実際に中国でねじ構造を独自に機械として使用することはできなかった。「ねじは中国で独自に生み出されなかった、唯一の重要な機械装置である」とも言われる。[31]
アルキメデスの鉤爪[編集]
アルキメデスの鉤爪(en)とは、シラクサ防衛のために設計された兵器の一種である。「シップ・シェイカー」(the ship shaker) とも呼ばれるこの装置は、クレーン状の腕部の先に吊るされた金属製の鉤爪を持つ構造で、この鉤爪を近づいた敵船に引っ掛けて腕部を持ち上げることで船を傾けて転覆させるものである。2005年、ドキュメント番組「Superweapons of the Ancient World」でこれが製作され、実際に役に立つか検証してみたところ、クレーンは見事に機能した[32][33]。
アルキメデスは海岸に複数の鏡を並べて放物面反射器(en)として太陽光線を集め、シラクサを攻撃する洋上の船に火災を起こしたという説がある。
結論
「古典古代における第一級の科学者という揺ぎ無い評価を得ている。」「一般にはアルキメデスは史上まれな偉大なる古代の数学者という評価を受けている」というか、科学史においても別格過ぎて(しかも紀元前)、ただの万能の超能力者。
このように、すでに「紀元前」つまり今から2000年以上前の段階で、人類はこのレベルにまで到達していた、というのは一般にあんまり知られていないことです。
しかし、その後、かなりの紆余曲折があります。
イエス・キリストが生まれた、とされる年が西暦1年(その頃はまだ0の概念がないので1年からはじまる、日本でも昔は赤ちゃんは今の満0歳から始まるでなく数え年の1歳からカウントしていた、あと今でも建物の地上階のことを1階と言う、ヨーロッパでは0階と言う)で、キリスト教がじわじわ普及しはじめるのですが、そこを基準に約400年後の西暦400年ごろには、キリスト教はヨーロッパで圧倒的な力を持っていました。すでに権力の中枢に食い込んでいたのです。
宗教っていうのはすぐに権力構造化するし、往往に排他的で、異教徒をすぐ弾圧します。キリスト教は例外ではありません。
非キリスト教の学校だということで、長いこと続いていたプラトンのアカデメイアも強制閉鎖されました。
プトレマイオス朝が古代ローマ帝国に吸収された後も、しばらくアレクサンドリアのムセイオンと大図書館は庇護されますが、そのキリスト教が権力基盤となった西暦400-500年頃に、キリスト教徒によって破壊されてしまいます。
このアレクサンドリアの大図書館の破壊は、2009年に映画で描かれました。
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YOUTUBE 映画『アレクサンドリア』予告編


4世紀エジプト、アレクサンドリアには世界中から学問を求める人々が集まっていた。
キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学者ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。
天動説に疑問を感じ、何らかの地動説を肯定できる理由を模索し続けた彼女は、弟子のオレステスや奴隷のダオスに愛慕を受けるが、それを拒み研究に没頭してゆく。その一方でキリスト教徒は、自らの宗教の絶対性を民衆に訴え、古来の神々を愚弄する。ヒュパティアの父テオンらはこれに憤り、剣を抜いて応戦するも退けられ、クリスチャンである皇帝は異教徒の一方的な罪を宣告する。
アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊され、異教徒には改宗か出国しか道は残されなかった。その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、都の人々から魔女とみなされる。
ヒュパティアはアレクサンドリアの実在の天文学者で、この映画は実話です。
ヒュパティア(Ὑπατία, Hypatia、370年?- 415年3月)は、ローマ帝国アエギュプトゥスの著名な女性の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者である。ハイパティアともヒパティアとも日本では呼ばれる。キリスト教徒により異教徒として惨殺された。
テオン(著名な数学者と哲学者であった)の娘であり、ヒュパティアは400年頃アレクサンドリアの新プラトン主義哲学校の校長になった。
彼女はプラトンやアリストテレスらについて講義を行ったという。そして、彼女の希に見る知的な才能と雄弁さや謙虚さと美しさは、多数の生徒を魅了した。
数学と哲学の教えを、新プラトン主義の創始者プロティノス(205年- 270年頃)と新プラトン主義のシリアでの分派の創設者ランバリクス(250年- 330年頃)という2人の新プラトン主義者から受けた。
新プラトン主義の他の学校の教義より、彼女の哲学はより学術的で、その関心のためか科学的で神秘主義を廃し、しかも妥協しない点では、キリスト教徒からすると全く異端であった。
それでも、「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」という彼女のものであると考えられている言動は、当時のキリスト教徒を激怒させた。その時すでに彼女は、キリスト教から見て神に対する冒涜と同一視された思想と学問の象徴とされたのである。これは、後にヒュパティアの運命を大きく変える。
391年、テオドシウスはテオフィロス(アレクサンドリアのキリスト教司教)の求めに答えて、エジプトの非キリスト教の宗教施設・神殿を破壊する許可を与えた。キリスト教の暴徒は、サラピス寺院やアレクサンドリア図書館や他の異教の記念碑・神殿を破壊した。その後、393年には法律で暴力、特に略奪とユダヤ人のシナゴーグの破壊を抑えようとの試みがなされた。
だが、412年、アレクサンドリアの総司教の職権が、強硬派のキュリロス(英語読みはサイリル)へと継承された。この後に、新たな異教徒の迫害および破壊活動が起きた。 そしてキリスト教徒の集団により、414年、アレクサンドリアからのユダヤ人の違法で強制的な追放がなされ、緊張はその頂点に達する中、ヒュパティアの虐殺事件が起こる。
ヒュパティアの無惨な死は多くの学者たちが亡命してしまうきっかけともなり、中長期的には古代の学問の中心地であったアレクサンドリアの凋落を招く一因になる。
これらの事件により、ピタゴラスの誕生から続いてきたギリシャの数学・科学・哲学の歴史は終焉する。劇的な虐殺の詳細と共に、博識で美しい女性哲学者としてのヒュパティアの伝説は、後世多数の作家(例えばチャールズ・キングズリー/Charles Kingsley)の『ヒュパティア 古い相貌の新たなる論敵』(1852年)など)の文学作品を生み出した。
この西暦400-500年頃におこったキリスト教徒によるアレクサンドリアの図書館の破壊や科学者ヒュパティアの虐殺といった叡智の冒涜と蹂躙は、その後、純粋キリスト教社会となったヨーロッパでの学問、科学、文化の停滞を象徴的に予言します。
この後どのくらいの期間ヨーロッパで学問が停滞するか?というと、西暦1500年ごろからはじまるルネサンスまで、なんと1000年間も停滞します。
この学問・文化の停滞期を西洋史では、現代からの近代と古代の中間の時代という意味で「中世(middle age)」という名前で区分し、この時代を自戒を込めて暗黒時代とも呼んでいます。

西欧の暗黒時代とイスラーム黄金時代からルネサンスまで

西欧社会が暗黒時代に突入するのを尻目に発展したのがイスラーム社会(イスラーム黄金時代)でした。
アラビアンナイトのあの時代です。
イスラーム社会がラッキーだったのは、中国人の捕虜に紙職人がいたことです。中国の後漢では、現代に通じる筆記用の紙を発明しており、この技術を持った職人を獲得したのです。
この素晴らしい紙という新メディアを大量生産すべく、国内に製紙工場の建設を急がせます。紙はイスラーム社会にあっという間に浸透します。紙の情報革命です。
それと同時に、「学者のインクは殉教者の血よりも尊い」というイスラームの思想により、かつてのアレクサンドリアと同じように、学者が集い、ギリシア・アレクサンドリア・中国・インドなど世界中の文献を収集します。
この中にはもちろんアレクサンドリアの図書館からの膨大な書物が含まれていました。
ギリシア語、中国語その他もろもろの世界中の言語で書かれた書籍は、今度は豊富な紙のメディアにすべてアラビア語へと組織的に翻訳され膨大な知識を蓄積しはじめます。
西欧で衰退したギリシア・アレクサンドリアの哲学・科学は、ギリシア語からアラビア語に翻訳されることで、受け継がれていくのです。
その結果、イスラームでは、イスラーム科学を発展させます。
イスラム科学(イスラムかがく)とは、8世紀から15世紀のイスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。
イスラム帝国が形成されアラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の、エジプト、メソポタミアといった古代オリエントの文化や古典古代のギリシャ、ペルシア、インド、中国などで発展していた科学をもとに発展した。
法学・神学・語学・文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」があったが、これに対し、上記のようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学、論理学、幾何学、天文学、医学、錬金術などがあり、博物学、地誌学などとともに「外来の学問」と呼ばれた。ただし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしても神の意思を知るためのイスラムに相応しい行為とされ、「固有の学問」を修める学者が「外来の学問」を兼修することはまったく珍しいことではなかった。
ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳が始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設した研究施設バイト・アル=ヒクマ(智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学や数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。
9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。
10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、アラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン・アル・ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン・スィーナーらが活躍したが、中世以降のヨーロッパにおいて科学が劇的に発展し、14世紀から15世紀にかけて、アラビア科学は廃れた。
アラビア数学 では、インドで発見されたという「0」という空の数字の概念、その延長で10進法の桁上がりの記数法(位取り記数法)を用いて代数学が発展します。今の世界の算用数字がアラビア数字と言われ得るのはイスラーム科学経由だからです。
イスラーム社会は栄華を極めますが、異教徒が繁栄して面白くないのが停滞していたキリスト教社会です。異教徒から聖地エルサレムを奪還する、と大義名分、難癖をつけて十字軍という旗印にイスラームへ遠征します。
もちろん、イスラーム教からキリスト教への強制改宗も目的に含まれていました。要するに純然たる侵略戦争をしかけて征服しようとしたんですね。かつてアレクサンドリアでやらかしたことをまたキリスト教徒がやろうとしたのです。
現代では一般的にキリスト教は穏当な宗教みたいなイメージが強いですが、歴史を紐解くとこういう侵略戦争や暴力をもって強制改宗みたいなことで勢力を広げてきたということは結構あります。かといってイスラム教が穏当というわけでもなく、開祖のムハンマドは宗教家と同時に軍人
ムハンマド(アラビア語: محمد‎[1]、Muḥammad[2]、570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖、軍事指導者、政治家。アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラーム教では、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)その他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている[3]。また世俗君主・軍人としても有能であり、アラビア半島にイスラーム国家を打ち立てた。
でエルサレムを攻略するまでバンバン戦争して強制改宗みたいなことをやらかしてイスラム教の勢力を拡大したので、どっちもどっちです。両方共「聖戦」ばっかりやってきたのです。今もやっていますけど。
さて十字軍は何度もイスラーム攻略を試みますが、まったく統率が取れなかったこと、国力の基盤が違うよその国に遠征したって勝てるわけがないという理由で、なんともなりませんでした。
しかし、十字軍の暴徒がイスラームの図書館から「これはカネになる」と思い、戦利品として略奪してきた膨大な書物が、キリスト教社会に流入、広まり始めます。それはまさにキリスト教社会にとって、自分たちが住むヨーロッパにかつて存在していたが、キリスト教の異端として抹消されてしまっていたロストテクノロジーをさらに発展させたイスラームの国力の源泉となる科学技術力の結晶でした。
アラビア語で書かれた書物は今度はラテン語へと翻訳されはじめました。
かくして、古代のギリシア哲学・アレクサンドリアの科学は、ギリシア語→アラビア語→ラテン語へと順次翻訳されて、壮大な迂回を経て、ふたたびヨーロッパに還流してきたのでした。
失われていた莫大な知識が世の中にものすごい勢いで広まりはじめます。
当然それはキリスト教が語る真理とは矛盾するわけで、純粋キリスト教社会の権威としての教会は、ふたたび異端の思想として、度重なる禁止令を出しますが、焼け石に水状態でどうにもなりません。
教会は窮地に陥ってしまいました。権力の中枢である教会はキリスト教の真理を弁護、擁護する必要に迫られます。キリスト教は、流入してきた圧倒的な知識に対抗して、なんとか理論武装する必要があるのです。
このキリスト教最大のピンチの局面に登場した救世主が、トマス・アクィナス という神学者です。
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それまでのキリスト教神学は単に聖書に基づいた神秘主義的なものにすぎませんでした。
しかし、トマス・アクィナスは、十字軍が持ち帰ったイスラーム経由のアリストテレス哲学を勉強していました。
アリストテレスの哲学(宇宙観)は、「ものがたり」で世界を説明してくれるので、既存の神秘主義的キリスト教神学とは相性が良かったので、アリストテレス哲学を利用してトマス・アクィナスは「神の存在証明」を試みます。
その結果、彼は、神学、哲学、倫理学、自然学と多岐にわたり、中世人にとっての知のあらゆる領域をカバーする壮大かつ精緻な神学体系を理論構築することに成功します。
この集大成となるのがアクィナスの『神学大全』という本です。アリストテレス哲学(宇宙観)に基づく『神学大全』は中世の純粋キリスト教社会の正当性を保障する、理論的基盤となりました。
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派
アリストテレス哲学(宇宙観)派の優勢!
しかしここで安心して、イスラーム社会から流入した膨大な新しい知識パワーをあなどってはいけません。
ほどなくして、この新しい知識と理論武装されたキリスト教神学の軋轢をさらに決定づける人類最強のとんでもないテクノロジーが登場します。
ドイツに、ヨハネス・グーテンベルクという金属加工職人がいました。彼がイスラーム社会から流入した新しい知識の影響を受けたのはまず間違いありません。グーテンベルグは自身の金属加工技術を応用した斬新かつ実用的な印刷技術を秘密裏に開発します。
グーテンベルグの活版印刷技術です。
ここで好都合だったのは、ラテン語のアルファベットというのはたかだか26文字しかないことでした。それまで活字を並べた組版による印刷技術自体は、中国にもありました。しかし象形文字である漢字というのは、膨大な数があるので、まったく実用性に欠け、中国の技術が伝わったイスラームでも恐ろしく手間のかかる手作業による写しであり、いくら媒体が筆記用の紙という新規テクノロジーのメディアであっても写本効率は著しく悪かったのです。
もはや手作業でない超効率的なグーテンベルグの活版印刷技術という超テクノロジーを手にした人類は、史上初めて「本の大量生産」という事が可能になり、その結果、飛躍的な情報量と情報伝達スピードを獲得します。
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1568年に描かれた印刷所の様子。一時間に240枚を印刷することができた。
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人類史上かつてない規模の情報革命が巻き起こったのです。
 
1455年にグーテンベルクによる「グーテンベルク聖書」が出版されてから、およそ半世紀の間に、ヨーロッパ各地の都市(ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ネーデルラントからスウェーデン、スペイン、ポルトガル、コンスタンティノープルなどまで)に活版印刷術が伝わり、約4万版が刊行されたという。
当時、聖書というのはめちゃくちゃ高価で家一件の値段より高かったのです。ごく一部の特権階級の人しか読めなかった聖書は、迅速・安価に大量生産され、誰もが読めるようになってしまいました。
民衆の間には、会員制の組合図書館、都市図書館が開設されました。
イスラム社会から継承されていたギリシア・アレクサンドリアの哲学・科学、イスラーム科学、そして文化も活版印刷による本の大量生産により、またたく間に広まります。
結果、この情報革命が、中世という暗黒時代を終わらす引き金となります。
権威化し腐敗しまくっている教会にブチ切れていたマルティン・ルターという神学教授の主張が、一般人も読みやすいドイツ語で印刷され、世間に広まります。その結果、宗教改革が巻き起こります。その結果キリスト教でカトリックから分裂したのが、プロテスタントですね。
さらに、この宗教改革がきっかけに、中世ヨーロッパ人はカトリックの価値観の束縛から自由になりはじめ、
「おいおいGOD、GOD言ってないでもっと人生を自由に楽しもうぜ!人間って素晴らしいよな!?」
いう人間讃歌の思想が広まりはじめることになります。
オリンピックの宣伝文句にもなっているCelebrate_Humanityってやつです。『ジョジョの奇妙な冒険』の作品テーマでもある人間賛歌です。
人間賛歌の思想はそのまま、イスラームから流入してきた新しい知識と文化、つまりかつてこのヨーロッパで栄えていたが、失われていた古代ギリシア・ローマ時代の文化や芸術を復興させよう!とする運動に繋がり、一大社会現象となっていきます。
ルネサンスです。
ルネサンスは西洋史にとどまらず、その後の人類すべての方向性を決定づけるような大事件でした。
イタリアは古代ローマ帝国の文化が栄えた土地なので、街のそこらじゅうに古代の遺物がそのまま残っており、彫刻家、建築家らは多くを学ぶことができました。   
この結果、イタリア・フィレンツェでは、ミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロといった絵画、建築、彫刻など多方面で秀でたルネサンスの天才が同時期にバンバン登場します。
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『ダヴィデ像』、1504年
アカデミア美術館(フィレンツェ)
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『モナ・リザ』、1503年 - 1505年/1507年、ルーヴル美術館
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Design for a flying machine ダ・ヴィンチ 
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『アレクサンドリアの聖カタリナ』(1507年) ナショナル・ギャラリー所蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』のレダのポーズを取り入れている
そして彼ら天才のパトロンとして資金援助しバックアップしていたのが、イタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭した大富豪でありトスカーナ公国の君主にもなったメディチ家です。メディチ家は、フィレンツェの実質的な支配者であり、ルネサンスの文化を育てたフィクサーと言っていいでしょう。
メディチ家は芸術のみならす思想面でも素晴らしい仕事をしました。
なんとあの常勝思想のプラトンのアカデメイアの精神を受け継ぐ
プラトン・アカデミーを主催したのでした。
プラトン・アカデミー(Accademica Platonica)はルネサンス期にフィレンツェ・メディチ家の周囲に集まった人文主義者らによる私的なサークルをいう。大学のようなものではなく、フィチーノの友人たちの集まり、と言ってもよい。
メディチ家当主のコジモ(1389年-1464年)は、古代ギリシア哲学、特にプラトンの思想に強い関心を持っていた。
1439年のフィレンツェ公会議の際に東ローマ帝国の代表団の一人としてやってきた哲学者プレトンが行ったプラトン講義をきっかけに、フィレンツェではプラトン哲学への関心が高まっていたのである。
コジモは侍医の子であるフィチーノに語学の才能があるのを見抜き、1462年頃からフィレンツェ郊外カレッジ(Careggi)にあるメディチ家別荘の近くに別荘を与え、プラトンのラテン語翻訳に従事させた。フィチーノはプラトン全集やヘルメス文書などの翻訳により、名声を博した。そしてカレッジの別荘ではプラトンに心酔し、古代のアカデメイアに憧れる人文主義者らの会合が開かれるようになった。
メディチ家当主のコジモ(1389年-1464年)
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なかなかのキレ者ですねー。
伊達や酔狂で大富豪の当主に収まっているわけではないようです。
彼がプラトンのイデア思想に強い関心を示したり、当時の人文主義者のように心酔して会合が開かれるように、ここには「何か本質的なもの」があるわけです。
すでにイデアの説明で長々と「円」「直線」「点」、「円周率」、数のはなしもしましたが、そういうことです。
このプラトン・アカデミーには、レオナルド・ダ・ヴィンチも出入りしていたと言われており、
「権威に頼る人は知性または精神の力を捨てて、むしろ記憶の力に頼っている」
「経験は誤ることなく、実験は偽ることがない。ただ我々の判断が誤ることがあるだけだ」
「数学的科学によって証明されないところに確実性はない」
という彼の言葉から、プラトン哲学の片鱗が伺えます。
プラトン・アカデミーができたのは、もちろんすでにグーテンベルグの活版印刷という超テクノロジーからの情報革命によるルネサンスなの時代ですから、本が大量生産できるようになっていました。メディチ家コジモが翻訳させたプラトンの常勝哲学は、あっという間にヨーロッパ社会へ広がります。
このように、かつて純粋キリスト教社会の猛攻により、完全に断絶していたかにみえた、常勝のプラトン哲学は、ルネサンスで見事な復活を遂げます。
こういうルネサンスで復興されたプラトン哲学のことを特に、
ネオプラトニズム(新プラトン主義)と呼びます。
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派
プラトン哲学(宇宙観)派が復活!
ただしプラトン派はまだまだ少数派でした。この時代のキリスト教社会の権力基盤の正当性を担保する神学は、今やアリストテレス哲学(宇宙観)によってガチガチに理論武装されているわけで、プラトン哲学(宇宙観)系の理論を提唱しようものならば、命取りにもなりかねません。 
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派はここに来てガチンコ勝負の様相を呈してきました。
ちなみにプラトンの常勝哲学にピンとくることがなく、ソクラテスの無知の知の自省もなく、感覚的に受け入れやすい純粋キリスト教社会のアリストテレス哲学の世界観のほうがしっくりとくる、という人にとっては、今後、量子論の話をしても厳しいかもしれません。
念の為ですが「量子論」というのは、「論」というのがついているとおり、2015年現時点で完全に解明され合意が完了している学問ではありません。量子コンピュータという技術も例外ではなく、「量子力学をわかったつもり」や「量子コンピュータをわかったつもり」の人はプロの研究者をふくめてゴロゴロいます。
科学哲学の素養は物理をやる背骨となるものですが、理系でもプラトン哲学に基づいて思考するという体系的訓練が徹底される教育があるわけでもなく、そこは各自勝手にやっており、勝手にわかってると勘違いしている人はゴロゴロいます。
この記事ではすでに
量子コンピュータの原理を心底理解する、ということは、量子論のことをふくめ、この世界の成り立ちの真相をかなり深いレベルで理解することに直結するし、それはおそらく、ほとんどの読者の世界観(この宇宙の捉え方)の大幅な変更を迫ることになるでしょう。
と、予告したとおり、かなり踏み込んで解説するつもりなので、どうせ「そんな馬鹿なことがあるはずはない!」と言われて、こちらがウンザリするのが目に見えているので前もってにこうやって説明しているのです。よろしいでしょうか?
これから量子論を目指してどんどん本題に入りますが、その過程で紹介する、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインと言った物理学のブレイクスルーを起こしたスターによる仕事は、すべて例外なく、プラトンの常勝哲学が語る、物質世界の数学世界への抽象化がなされており、すべて例外なく、感覚的に受け入れがたいとする、アリストテレス哲学の世界観を堅持する人らに面倒くさい批判を浴びてきました。
そしてこれは、現代物理学の世界でも例外ではありません。
「はいはい量子力学ね、わかってますよ」と言いながら、いわば現代のアリストテレス哲学の世界観に溺れてしまう人は、プロの研究者でも大勢いるようで、彼らとプラトン哲学の世界観で切り開こうとする人らの対立的議論があります。

アンチ・アリストテレス「宇宙は数学の言葉で書かれた書物である」キリスト教神学へ反逆した科学の父 ガリレオ・ガリレイ

メディチ家のコジモ一世(1519年6月11日 - 1574年4月21日)(プラトン・アカデミーのコジモとは別人)が初代大公であったトスカーナ公国のピサという都市に、フィレンツェ生まれのヴィンチェンツォ・ガリレイという音楽家がいました。彼は、音響学の研究で数的な記述・分析を重視する手法をとっていました。
西暦1564年、ガリレオという息子を授かるのですが、ルネサンス最後の巨匠、ミケランジェロの死ぬ3日前のことでした。これが象徴するように、当時、トスカーナ大公国はルネサンスを終えて長い凋落の時代に入ろうとしていました。
ヴィンチェンツィオは息子ガリレオを医者にしようと考えました。 
父の画策で、ガリレオはピサ大学に合格し、医学部の教養課程に入学します。
そんなある日、ガリレオの人生を決定づける出来事が起こります。
トスカーナ宮廷をガリレオが訪ねたとき、フィレンツェ出身の宮廷付き数学者オスティリオ・リッチが教授している現場にたまたま出くわしたのです。
リッチはフィレンツェ・ルネサンスの息吹をもろに吹きこまれた数学者で、失われていたギリシア・アレクサンドリアの数学・科学の知識を習得していました。
リッチは好奇心旺盛な青年ガリレオに自分の知識を教えます。
なんと1800年以上も前の大昔、かつてこのヨーロッパの地には、ユークリッドの幾何学やアルキメデスの研究というものが存在し、それは現在ガリレオがピサ大学で学ぶアリストテレス系一色に染まった学問よりもはるかに進んでいる!
このロストテクノロジーっぷりにガリレオは衝撃を受けます。自分が学ぶべきは1800年前の学問であり、今の大学で教わる学問ではない!!
もはや大学には何も期待できないと悟ったガリレオはさっさとピサ大学を退学してしまい、その後、独学でアルキメデスの数学を研究しはじめます。
その後、ガリレオはコネで、ピサ大学の数学教授に就任します。
この頃、ガリレオが夢中になっていたのは、運動の力学の問題でした。
もちろんガリレオは、天文の問題や物理の問題について考える時にアリストテレスの学説や教会が支持する説などに従うつもりは毛頭ありませんでした。
ガリレオの父が、音響学の研究で数的な記述・分析を重視する手法を取っていたように、そして尊敬してやまない古代ギリシア・アレクサンドリアの数学者アルキメデスがそうしていたように、自分も物理学で数学的な記述・分析を重視する手法をとろうとしました。
ガリレオは物理学者である前に筋金入りの数学者なのです。
古代哲学者アリストテレスは、大きな石は小さな石よりも速く落下する、つまり重いものは軽いものより速く落ちると考えていましたが、ガリレオはこの考えに反発します。
ガリレオの有名な逸話に「ピサの斜塔の実験」というものがあります。
ピサの斜塔のてっぺんから重さの違う二つの重りを落として、どちらが先に接地するかを実験する。
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その後、ガリレオの力学研究の成果が実を結び始めます。
物体の落下運動について、数式であらわせることを発見したのです。
ある物体が落下運動によって通過する距離が時間の二乗に比例している!
ガリレオは、物体の落下運動という自然の現象を数式で表現できることを結論づけました。
ガリレオは自然を数学で記述することに成功したのです。
自分のやり方は間違っていなかった。
ガリレオは自書『天文対話』で以下のように語っています。
哲学は、宇宙というこの壮大な書物のなかに書かれている。
この書物は、いつもわれわれの目のまえに開かれている。
しかし、まずそのことばを学び、それが書かれている文字が読めるようになるのでなければ、この書物を理解することができない。
それは数学のことばで書かれているのであって、その文字は、3角形、円、その他の幾何学的図形である。
これらなしには、人間はその1語たりとも理解することができない。
これらなしには、人は暗い迷宮のなかをさまようばかりである。
ガリレオは冒頭で「哲学」って書いていますが、これは現代で言う「自然科学」のことです。
少なくともルネサンスの頃、西欧ではガリレオ以前に「自然科学」なんてものは存在してなかったのですから。
ガリレオが尊敬する古代ギリシア・アレクサンドリアの超能力者みたいなアルキメデスは別格として、少なくとも、ルネサンス以降では、ガリレオが初めて力学法則を数学で書きました。
そしてその根本となるポリシーは
「宇宙は数学の言葉で書かれた書物である」
です。
これは今更言うまでもないでしょうが、
「万物の根源は数である」のピタゴラス派の教義であり、
「イデア」のプラトン哲学の思想です。
1604年の秋、ガリレオ40歳のとき世界を揺るがす出来事が起こります。
超新星(スーパーノヴァ)がへびつかい座に出現したのです。
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プラハに住む皇帝付き数学者であり天文学者のヨハネス・ケプラーが発見したので、「ケプラーの超新星」とも呼ばれています。
もちろん当時の天文学者たちは驚天動地の大騒ぎです。
アリストテレスの世界観では月よりも上の世界は不変なので、
「星が新しくできる」ことなど絶対にありえないからです。
この超新星が月よりも上の宇宙での現象なのか、あるいは月よりも下の気象的な現象なのか?それこそがキリスト教の理論武装の根幹となるアリストテレス的世界観にとっては何よりも重要で、論争となりますが、ガリレオはこの超新星を月よりも上の世界のものだと主張しました。
 
当時のアリストテレス的世界観は徐々に揺ぎはじめます。
そもそもガリレオはアリストテレスの世界観なんてものはこれっぽっちも信用しておらず、プラトン哲学派であったし、この超新星を利用してアリストテレス的世界観、つまり「天動説」を論破してプラトン的世界観の「地動説」のほうが正しいと証明してひっくり返してやろうと思っていました。
いよいよ、
プラトン哲学(宇宙観)派 vs アリストテレス哲学(宇宙観)派のガチンコ勝負がはじまるのです。
ガリレオは本格的に天文学に参入します。
当時、望遠鏡という新しいテクノロジーが開発されつつあり、ガリレオもこの開発競争に加わります。
もともとガリレオは尊敬するアルキメデス同様に実践家でした。
ピサの斜塔の逸話はそれを端的に表すものです。
ガリレオは天体観測のための望遠鏡開発にも才能を発揮します。
ガリレオは木星を望遠鏡で観測しました。
木星が4つの星を伴っていることに気づき、観測を続けると、その4つの星が、他の恒星とは違い木星の左右を行ったり来たりしているのが分かりました。それら4つの星が木星の周りを回っているのだと確信した。
これらの衛星は、ガリレオ衛星と呼ばれています。
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左からイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト
ガリレオは観測から得られた新発見を『星界の報告』という本にまとめて公表します。
世間の反応は様々でした。ガリレオに迅速に反応したのは、超新星を発見した例のケプラーで、ガリレオに最大限の賛美を送りました。ケプラーは地動説派であり、すでに自分の理論を固めつつあったのです。
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ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年12月27日 - 1630年11月15日)は、ドイツの天文学者。天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えたことでよく知られている。理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在だといえる。数学者、自然哲学者、占星術師という顔ももつ。欧州補給機(ATV)2号機の名前に彼の名が採用されている。
プロテスタントであり、これは宗教的対立の高まっていた当時の神聖ローマ帝国において、ケプラーに苦難を強いる原因の一つとなった。ケプラーの家は貧しく学校に行くことのできる環境ではなかったものの、奨学金を得て、神学校に進学したのち、1587年、テュービンゲン大学に入学し数学を学んだ。1594年にはグラーツの学校(現在のグラーツ大学)で数学と天文学を教えるようになった
ケプラーの自然哲学の中心は惑星論にある。ケプラーは数を宇宙の秩序の中心とする点や天体音楽論を唱える点で自然哲学におけるピュタゴラス的伝統の忠実な擁護者であった。その反面、コペルニクスやティコ・ブラーエ、ガリレオ・ガリレイも脱却できなかった円運動に基づく天体論から、楕円運動を基本とする天体論を唱え、近世自然哲学を刷新した。
ケプラーの真の功績は、数学的な裏付けを持った物理モデルを提出するという方法の先駆者だった所にある。彼のモデルそのものは誤っていたが、結果的にこれはガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートンを経て古典物理学の成立へとつながっていく。
ケプラーは数学者です。
というか、ガリレオ、ケプラー、ニュートンもうこの辺全員ゴリゴリの数学者です。
ケプラーは数を宇宙の秩序の中心とする点や天体音楽論を唱える点で自然哲学におけるピュタゴラス的伝統の忠実な擁護者であった。
はい、出ましたね。「数を宇宙の秩序の中心とする」ピタゴラス学派。
占星術師という顔をもつ
というのも数で全部説明できると信じて疑わないピタゴラス「教団」系統の信者であるということにすぎません。
ケプラーみたいにガリレオへ賛美を惜しまない人は当時こういう変わり者というか極少数派にすぎず、大半の反応としては、
おいおい、聖書の全否定か?
アリストテレス大先生の宇宙観の否定?正気?
みたいなことでした。
この反応にガリレオのイラツキは想像できないことはありません。
ガリレオはその後も貪欲に観測を続けます。土星、金星。
望遠鏡という新たなテクノロジーを手にしたこの時期は、まさに天体観測というのは宝箱に等しかったのでしょう。
金星が満ち欠けをしている事実を観測します。
これは、惑星が自分では発光しておらず、太陽の周りを回っていることであると考えられるので、地動説の確証となりました。
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ガリレオは地動説を疑いようのない真理だと考えるに至ったのです。
このように着実に業績をあげていくガリレオの名声は高まりますが、自分が正しいと確信しているだけに、アリストテレス的宇宙観を堅持するために反論してくる者には、前からイラついていたこともあり、片っ端から徹底的にボコボコに論破していました。
ガリレオ無双です。
実際正しいし、揺るぎない証拠が満載だし、実際間違ってるのは相手なので、常に論争で圧勝するわけです。
ガリレオに私怨をもつ敵はどんどん増えていきます。
ときに宗教というのは戦争をも引き起こしますから、自分の信条を完全否定された宗教に熱心な人ほど怒るわけです。
ガリレオをよく思っていないロリーニという神父が、
「ガリレオのいう地動説っていうのは聖書に反していると思います!」
とローマの異端審問所にチクります。
 
最初は、穏便に済まされますが、ガリレオも頑固だし、自分が間違っていないと確信しているだけに、その後延々と自分の理論を主張し続けます。
裁判所の注意を聞かない!と宗教裁判がエスカレートしていき、最終的には、自宅軟禁処置みたいなことになります。
有罪が告げられたガリレオは、地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文をひざまづいて読み上げることを強いられました。
ガリレオは、すべての役職は判決と同時に剥奪され『天文対話』は発禁処分となります。
 
もうこの時点で、ルネサンス期の学問の中心地としてのイタリアは完全終了したと言っても過言ではないでしょう。
イタリアにおいては自由な科学研究は不可能であることが内外に示され、科学の活動は北ヨーロッパやイギリスに中心が移り、その後二度とイタリアに戻ってくることはありませんでした。
ガリレオの異端裁判の判決をもって、イタリアを中心としたルネサンスも完全に終わりを告げます。 
アレクサンドリアの数学者・哲学者・天文学者のヒュパティアへキリスト教がやったこと、大図書館を破壊したこと、そしてその結果、このルネサンスまで1000年間も西欧社会の文明、科学が停滞したことを思い出してください。
歴史は繰り返すのです。
ローマ教皇庁の対応
1965年にローマ教皇パウロ6世がこの裁判に言及したことを発端に、裁判の見直しが始まった[44]。
最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオの死去から実に350年後のことである[45]。
2003年9月、ローマ教皇庁教理聖省(以前の異端審問所)のアンジェロ・アマート大司教 (Angelo Amato) は、ウルバヌス8世はガリレオを迫害しなかったという主張を行った。
2008年1月16日の『毎日新聞』によると、ローマ教皇ベネディクト16世が17日にイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学での記念講演を予定していたが、1990年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言したことに学内で批判が高まり、講演が中止になった。その後ベネディクト16世は2008年12月21日に行われた、国連やユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績を称え、地動説を改めて公式に認めている[注 9]。
ガリレオの死去350年後、1992年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が地動説に関する異端裁判の誤りを認め、ガリレオへ謝罪したのは、ピサの斜塔の頂上でした。
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)は、イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。
パドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称され、ロジャー・ベーコンとともに科学的手法の開拓者の一人としても知られた。1973年から1983年まで発行されていた2000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣にガリレオの肖像が採用されていた。
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最終真理へのブレイクスルー「我思う故に我あり」精神世界を発見した、すべてを疑う100%オリジナルの孤高の天才合理主義者 ルネ・デカルト

イタリアでガリレオが木星の衛星(ガリレオ衛星)を発見したとき、フランスのある名門校で、ガリレオの発見を讃える祝祭が催されていました。この学校はカトリック系でしたが、信仰と理性は調和するという考えで自然観察に熱心だったのです。
この学校のカリキュラムには哲学討論の授業があったのですが、そこで数学的な手法をガンガン駆使しながら相手を論破しまくっていた少年がいました。当時14歳のデカルトです。
学校の先輩には、後にメルセンヌ素数で有名になったメルセンヌもいました。
数学が得意な天才少年デカルトはこのときすでに学院で習う神学やそれをベースにしたもろもろの学問に強い疑念を抱いていました。彼にしてみれば論理が穴だらけなのは一目瞭然で、胡散臭さ満載だったのです。
 
ルネ・デカルト(仏: René Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。
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デカルトはその後大学に進み、速攻で法学・医学を修めて卒業した後、パリへ行きました。もちろんパリジェンヌを漁りにいくためです。
デカルトは知的かつ洒落モノで、しかも家柄は旧貴族で育ちもいい、裕福という死角がまったくない超ハイスペックな青年だったので、パリで全力を出そうと思ったのでしょう。パリでは、学友の数学者メルセンヌとも再開し、女遊び、数学と、隙のないリア充ぶりを発揮します。
しばらくして仲間との女遊びにも飽きてきたデカルトは賢者モードに移行します。仲間をぶっちぎって静かな郊外へ移り住み、大好きな数学研究に没頭していました。しかしまもなく頭の悪い仲間達がまたわっと押し寄せてきたので、何を思ったのか戦争に行くことを思い立ちました。
当時、例の宗教改革で分裂したキリスト教のカトリック派とプロテスタント派が民族対立や権力闘争とあいまって、また宗教戦争をやらかしていたのでした。三十年戦争です。
オランダで軍隊に入ります。オランダの都市ブレダに駐屯していたある秋の日、彼は掲示板に貼られた数学パズルに目を留めました。しかし残念なことにそれはオランダ語で書かれていたのでデカルト青年は読むことができず、たまたまそばで同じように数学パズルを熱心に見ていた少し年上のオランダ人に翻訳を頼みました。この人物は、イザーク・ベークマンといって、医者でありながら自然学者であり数学者でもあるという、まったくデカルトと互角に張り合うだけの知性をもっていました。インテリ同士、彼らはすぐに意気投合し親友になります。
ベークマンは、原子・真空・運動の保存を認める近代物理学に近い考えを持っていたり、地動説のコペルニクスの支持者でもありました。そして、デカルトはこのときすでに、数学を物理学に適用すべきであると気がついていましたが、ベーグマンも全く同じ戦略に到達していたのです。
 
その後、デカルトが従軍で移動する間も彼らは熱心に文通しており、音楽理論、落体の加速度、液体が容器に及ぼす圧力、そして幾何学と研究合戦をしていました。当初は七つ歳上のベークマンが教師役だったのですが、デカルトはたちまち追い抜いてしまいました。
その後、戦争にいったり、またパリに戻ったり、また静かなところに隠匿したり、と繰り返していくのですが、デカルト32歳の時にそろそろ自分の研究の成果をまとめて世間にアウトプットしようと本腰を入れて取り組み始めます。
『宇宙論』を出そうとしたその矢先、イタリアのガリレオが地動説の件で、ローマの宗教裁判で有罪を食らって干されていることを聞き及びます。
当然自分の『宇宙論』は地動説ベースの宇宙観であるので、これはやばい!と思ったデカルトはこの本のリリースを断念してしまいます。
このデカルトの『宇宙論』はかなり凄くて、
物体の基本的な運動は、直線運動であること、
動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、
一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)、
と、後にニュートンがプリンキピアで書くことになる力学の法則の根幹をカバーしてしまっています。
実際ニュートンは、デカルトの著作を研究していました。(ニュートンのほうがデカルトより1世代後)。
1633年ころの『世界論』の草稿においては、物体とは独立した空間を認めて「運動というのは、空間の中の、ある位置から別の位置への移動」と見なしていたが、その後デカルトは考え方を変えて真空という概念は認めなくなり、世界は粒子で満たされているとした[1]。
デカルトの渦動説は、天体を運動させているのは天体を囲んでいる物質(流体、エーテル)が天体を押しているからだとし、その物質は渦のように動いているとする。また、物体の落下については、水の渦の中に木片を置くとそれが渦の中心に引き込まれるが、言わばそれと同じ原理で、起きているエーテルの渦によって引き込まれていると説明した。
これはデカルトの渦動説と呼ばれており、空間中の媒質を通じて力が伝わるという近接作用をもって世界を説明しようとするものです。
ニュートンは、もちろんこのデカルトの考えを知っていましたが、同意できずに違うアプローチの万有引力の法則を発表することになります。こちらは遠隔作用で(当時の科学では、そして今でも近似理論としては)正しいので、以上のデカルトの考えは間違いとなってしまうのですが、実は量子力学まで考えると、むしろデカルトの世界観のほうが正しい、少なくともかなり近いのです。
特に、物質と空間を同一視し、この宇宙は分割可能な粒子で埋め尽くされている、そして物質・空間の差がない粒子のみで力学をぜんぶ説明しようとかいうのは、まあ通常の日常的感覚では想像もつかないわけで、いったいどういう瞑想をすればこんな突飛な発想が可能だったのか?よくわからないのですが、実際、現代物理学の場の量子論では、物質と空間は同一視されており、デカルトの主張するとおり、量子同士の近接作用で力が働く理由を説明します。
場の量子論では、力が働く、ということにとどまらず、物質に慣性の法則がある、質量が存在するという事実などもすべて粒子、そして粒子と同一視される空間の性質で説明していて、デカルトの「真空という概念は認めなくなり、世界は粒子で満たされているとした」とかいうのは、2013年、物理学でノーベル賞をとったヒッグス粒子の研究といったこのレベルの話の世界観に迫るものであるといえます。
しかしこんな現代物理学のトンデモパラダイムなんて、膨大な研究の末に知見が積み上がってようやく人類が到達したごくごく最近の世界観で、デカルトからしたらはるか遠い未来のことです。
あと、物体の落下=重力の件ですが、水の渦の中に木片を置くとそれが渦の中心に引き込まれるが、言わばそれと同じ原理で、起きているエーテルの渦によって引き込まれている、というのは、アインシュタイン方程式時空の歪みによる重力の説明のイメージだとも言えます。
つまり、デカルトの物理学への洞察は、次世代のニュートンの次のアインシュタインの相対性理論、その次の量子力学、その次の量子場の理論、とパラダイムを2つ、3つ、4つすっとばしながら、いきなりかなり正しいことを言ってのけている。ちょっと意味わかりませんね、天才すぎて。
真空が粒子で満たされているとか普通考えつきます?ガリレオがピサの斜塔から重さの違う鉄球落として同時に着地する、ほらみろ!とかいう時代に、何の材料もないのに、いきなりこういうこと言い出すっていうのが天才です。この人は後で述べる哲学者としての業績だけがクロースアップされがちだけども、物理学者としては、続くニュートンの力学の金字塔の影に隠れて、あるいは現代物理学の知見がない人らによる「ああデカルトさんやらかしちゃったなあ、ニュートンに敗北!」という感想から、かなり過小評価されているな、と思うわけです。
1637年、デカルト41歳のとき、『方法序説』という集大成的な本を出します。
なおこの本も、例のキリスト教の異教徒思想弾圧を警戒して、初版は偽名で出されています。『方法序説』の
第6部では、ガリレイの審問と地動説の否認という事件が、デカルトに自分の物理学上の意見の公表を躊躇させたと述べる。人間を自然の主人とするための生活にとって有用な知識に到達することは可能であり、それを隠すことはデカルトにも大罪と思われた。実験や観察は重要であり、公衆がそれから得る利益を互いに公開することが今後大切になるはずだと。しかし、ガリレオ事件で教訓を得たデカルトは、まだ発見されていない若干の真理を探究する時間を失わないために、反駁や論議を招くような自分の著書は生前に出版することを断念することにした。しかし自分が著作を用意していたことを知る人々に意図を誤解されないよう、1634年になって書かれた論考から慎重に選ばれた『屈折光学』『気象学』『幾何学』に『方法序説』を附して公表することに同意した、と述べる。
いかに思想弾圧を恐れながらも人生かけて真摯に研究しているのか?ガリレオもそうですが、頭が下がります。我々が謳歌している学問の自由、思想の自由というのは、こういう偉人の犠牲の上に、時代の教訓として獲得したものなのです。
デカルトは哲学者、物理学者である前に数学者であることを忘れてはいけません。
上記『幾何学』では、3次元空間座標系の概念が書かれています。
我々が住むこの宇宙が、3次元空間であり、数学の座標系で位置が決まる、ってはじめて言い出したんですね。デカルトは3Dの元祖です。
だから、こういう平面、空間の直交座標系のことをデカルト座標系と呼びます。
と、バシっと言い切れれば気持ちも良いのですが、忘れてはいけないのが、ガリレオ先生も大学時代に衝撃を受けて心酔したという、あの古代学術世界都市アレクサンドリアのムセイオン、大図書館に集うアルキメデスやユークリッドという例の古代文明超能力集団の存在です。
ユークリッド幾何学(義務教育で習う幾何学)のユークリッドは、その当時すでに直交座標系なんぞはすでに導入していたと思われ、デカルトもユークリッド幾何学は当然学んでいました。
『方法序説』は、何の「方法」かというと、もちろん自然科学、物理学のための方法です。序説、っていうのはその方法の導入過程もふくめざっくばらんに書いちゃいますよ、みたいなことですね。
実際、『方法序説』は学者向けの論文じゃなくて、ざっくばらんに書かれた一般向けのデカルトによるエッセイです。言語も当時の学者共通デフォルト・ランゲージのラテン語ではなくて母国語のフランス語で書かれていました。
まあ、往往にしてつっこみどころがないように留意した、公式性、正式性、正確性重視の四角張った文章よりも、自分の日常からの気付きや、なんでこう考えようと思い立ったのか?というものをざっくばらんに書いてくれたほうが、読者は筆者の思考の軌跡が生々しく追体験できて、かえって本質的で正確なところがわかってしまうものです。だから、『方法序説』これ一冊さえ読めばデカルト哲学の核心部分がもれなくわかってしまうと一般に高い評価がなされています。
もちろん、この私の記事もそういうざっくばらんのポリシーで書いてる(念の為ですがデカルト先生に肩を並べたいみたいな、おこがましいつもりはないですよ、単にこの形式が自分にとって書きやすいだけです)わけですが、こんなもん読んでも正確なところはわからないだろう、しょせん初心者向けだ、とか、寄り道が多い、みたいな事を言う人らがいます。アホだなあ、とは思いますが、まあ言わせておけば良い。そんなもんを求めるのならばいくらでもWebにわかりにくい正確な文章があるわけです。
『方法序説』というエッセイで、デカルトは、
「疑うことを教えてくれたから、間違った理論を懇切丁寧に教えてくれた恩師の方々には本当に感謝してます!!」
と自身のカトリック系名門校時代の教師たちにチクリというか、グサリとやります。学校で全課程もれなく修了してみたけど、そこで習った珍妙な学問なんぞにはなんの信頼も期待もできず(ガリレオと同じこと言ってる、唯一の違いはガリレオは反逆児で速攻で見切りをつけて退学したが、デカルトは従順な優等生タイプだったので全部修了したし、先生ありがとうございました、と表向きは礼を言う(笑))、だから全部捨て去って、パリで遊びほうけたし、戦争へも行ってみた、というようなことが書かれています。
そして、だいたい皆が寄ってたかって構築した学問っていうものがこの有り様で、まったく信用ならないんだから、自分ひとりの理性だけに忠実に全部自分ひとりでやったほうがマシでしょ?とぶちあげてしまいます。
まさに天才児童が、自分のレベルに追い付いていない世界の学問に悩み苦しみながら成長し、結局すべてがバカバカしくなり、すべてを捨て去り、女遊び、ギャンブル、戦争と、世俗に溺れたが、それでもなお真理の探求の炎は燃え盛り、最後についに悟りに到達した、という孤高の境地といったところでしょうか?
このデカルト少年の学院時代の
「ほんとおまえら誰も信用ならないな、純真な子供に嘘ばっかり教えやがって・・・」という学問的トラウマがデカルト哲学の根源にあります、
そして、デカルトが思想史において極めて特異なのは、この人がゼロから全部自分ひとりでやっちゃった、つまり完全にオリジナルだということです。
思想のスペックとしてはもちろん、ピタゴラス・ソクラテス・プラトンの系統に分類できますが、ぶっちゃけプラトンの影響でプラトン哲学を土台にして自分の哲学を構築したか?というと全く違います。
偉大なプラトンでさえ、師のソクラテスの「無知の知」を徹底的に叩きこまれ、ピタゴラス教団の「万物のアルケー(根源)は数である」という思想に影響されて「イデア」哲学を構築したわけですが、デカルトは自身の学院時代のトラウマや従軍時代に得た知見が原動力になり、思想的にはゼロからスタートしたのです。
もちろん、古代ギリシア哲学の素養はあったでしょう。しかしそこも含めて一旦チャラにして自身の哲学をスタートさせているのです。実際それゆえにデカルト哲学は常勝のプラトン哲学さえも突き抜けてしまいます。思想のブレイクスルーです。
どういうことか?見て行きましょう。
まず、デカルトは生粋の数学者であるので、数学的厳密性をもったアプローチで科学をやろうと思いました。
数学では、論理を進める土台として、公理というものを前提条件として用意します。
数学の公理系は、それ以前にはなんの前提条件もないので、ぶっちゃけ何でもやりたい放題です。
たとえば、ユークリッド幾何学の5番目の公理は、平行線公理といって、
 
「平面上には絶対に交わらない2本の線(平行線)を引くことができます。」
という公理を絶対前提条件とします。
これを厳密な論理で演繹していけば、
「三角形の内角の和は、180度である!」
という定理が導出されます。
根本の大前提となる公理系から、こうやってどんどん上位のレイヤーである定理という部品を揃えていく。
そして、今度はさらに上位のレイヤーでこの定理の部品を組み合わせていくと、それは厳密な「ユークリッドの幾何学」という数学理論が出来上がります。
もちろん、公理という大前提は、それ以前にはなんの前提もないやりたい放題のレイヤーであるので、
「平面上には交わらない2本の線(平行線)を引くことができる」とは「限らない」という立場をとり、平行線公理を排除してしまう幾何学体系つまり「非ユークリッド幾何学」という数学理論も構築可能なんですね。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学という2つの数学理論は、たった一個の公理を認めるか?認めないか?でその結果構築された2つの理論の景色はまるで違うものになってしまうわけで、いかに最初の公理をどう定めるのか?っていうのが超重要なポイントになってくるわけです。
デカルトはゴリゴリの数学者なので、こういうことを熟知していました。
「まず公理系を厳密に選定しないと話になんないな」というところがデカルトのスタート地点です。まさに自分の哲学を厳密にゼロからはじめたんですよ。
 
さて何を公理としよう?デカルトは考えます。
どうやったら公理を厳密に選定できるか?デカルトは考えます。
絶対確実な方法とは何か?
ここで少年時代からのトラウマの登場です。
「ほんとおまえら誰も信用ならないな、純真な子供に嘘ばっかり教えやがって・・・」
「疑うことを教えてくれたから、間違った理論を懇切丁寧に教えてくれた恩師の方々には本当に感謝してます!!」
とにもかくにも誰も、どんなものでも信用ならない、徹底的に疑うしか自分には方法は残されていない。疑う事こそが絶対確実な公理を選定する道だ。
こういうメソッドを方法的懐疑・積極的懐疑とデカルトは定義しました。
これは古くある懐疑主義の系統にあります。
しかし懐疑主義は意味合いが広いので、建設的な批判的思考(クリティカル・シンキング)とか、ただ単に疑ってオシマイ、どうせ何も信用できない、やる気を失った、とか、お前ら全員信用ならねー、敵だ!という妄想だって懐疑主義のひとつといえばそう言えてしまうので、デカルトはそういうのとは一緒にしてくれるな、自分の懐疑は、あくまで厳格な公理を選定するための積極的な目的がある斬新なメソッドとしての懐疑なのだ、という意味で方法的懐疑と定義しました。徹底的な方法的懐疑とは、公理を見つけ出す目的というデカルト哲学専用でそれ以外の応用はまったくないと考えたほうがいいかも知れません。
デカルトが徹底的に疑う手法とはおおよそこんな感じです。
「おいデカルト見ろよ、目の前に美しい女性がいるね!」
まて、騙されるな!そいつは悪霊の化身かもしれない。パリでは悪い女にさんざんひっかかったんだ。(認識の否定) 
「温かい暖炉だね?」
そんな暖炉など本当は存在していないかもね。幻覚だよ。(物質の存在の否定)
「今、俺達は暖炉の前で生きている。現実にこの世界に生きている!」
だからさ、暖炉だけじゃなくて、この世界まるごと夢か幻か、一体どうやって証明する?
マトリックス見たこと無いの?
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コンピュータのシミュレーションで、どうせ後頭部にプラグがあるんでしょ。(物質世界の否定)
「仮にマトリックスだとしても、現に暖炉が温かいと思っているのは本当だろ?」
しつこいな。だから、それも脳にそういう電気信号が送られただけなの。
君、本当にマトリックス見たの?
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、ぜんぶ脳への電気信号のインプットでシミュレートできちゃうの。(感覚の否定)
「そうじゃなくて、電気信号であれなんであれ、君の脳がそう感じたのは疑いようのない事実だろ?そういうことを言っているのさ。」
なるほどね。でもその脳自体がまるごと、マトリックスでシミュレートされた神経回路である可能性は否定できないなあ。
事実、今もうそういう神経レベルで再現したデジタル生物っているし。
OpenWormっていって、オープンソースなのでGitHubからダウンロードできるよ。
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そういうシミュレートされた神経回路で人間の脳を完璧に再現してやれば、その脳は「温かい」って感じることも当然できるだろ?
結局ぜーんぶ幻なんだよ。(内的感覚の否定)
「うー・・・じゃあマトリックスの外の世界ではどうだ?
コンピュータシミュレーションでないネイティブの世界を作ったのは神だろ?
君はまさか神を信じないとでも言うつもりか?!」
ごめん悪いけど宗教なんてものは作り事だろ?
誰かが決めたことは信用しない主義でね。
昔それでひどい目にあってトラウマがあるんだ。(宗教の否定)
「念の為だけど、1+1=2という数学的事実は信じるよな?
誰かが決めたことでもないし、夢でも幻でもないぜ?」
数学的事実?なんだそれ?そんなもん、もし自分が消えたら、一体だれがそれを論じるんだ?もし、人間まるごと消滅したら?
誰も考えない数学なんて意味ある?そんなもんは無いに等しいのさ!
あっはっは(プラトンのイデアの否定)
なんと、このキリスト教支配の時代にあって、論理的に宗教を全否定し、
マトリックスさえ太刀打ちできず、それにとどまらず、
超論理的であるプラトン哲学のイデアさえ全否定してしまいました。
常勝プラトン哲学がたったひとりの天才の哲学に論理的に論破された瞬間です。
これがデカルトの方法的懐疑というメソッドのスーパーパワーであり、思想史においてブレイクスルーを起こした様子です。
デカルト、君は何であろうと徹底的に疑うね?
まあね、それがこの方法的懐疑というスーパーメソッドさ。
いや、だから、君は疑うね?
ああ、疑うよ。
じゃあ今、君は疑っているんだね?
いいや!今、僕は疑っていない。
さっき「ああ、疑うよ。」って認めちゃったけど?
・・・確かに。疑っているという現象が今現実に起こっている、ことだけは認めざるを得ないみたいだ。
宗教でもマトリックスでもイデアも関係ないもんね?
関係ないな。自分が疑っているという現象自体は疑いようがない。
かくして、デカルトは、
「自分が疑っているという現象自体は疑いようがない。」
=「我思う、ゆえに我あり」
というのを、自分の哲学の「公理」として採用します。
デカルトは方法的懐疑を経て「考える我」の存在を超合理的に証明したのでした。
「考える我」方法的懐疑によって合理的に完全否定された「物質世界」とまったく切り離された存在です。
デカルトは、
「考える我」=公理
から
「精神世界」=定理
を導出します。
「精神世界」の存在の発見
デカルトは世界で初めて「物質世界」と「精神世界」を合理的に分離したのです。
デカルト以前では、「精神世界」はもちろん宗教による考察の対象でした。
しかしそれはあくまで「神」を前提とする神秘的な思索の範囲を越えるものではなく、合理的な学問、つまりデカルトのような天才少年の検証に耐えうる思考ではありませんでした。
「精神世界」を信じることを前提に語る宗教やスピリチャル論は理性の放棄ですが、「精神世界」を徹底的に疑う合理的手法による帰結として語るのでは別物です。
  • 宗教、スピリチャル論の「精神世界」 
    考えるな!感じろ!信じろ! 理性を抑制
  • デカルトの方法的懐疑の「精神世界」
    考えろ! 感じるな!疑え! 理性を発揮
また、プラトン哲学のイデア論では
「精神世界」は、「物質世界」の外にある「イデア世界」の中に区別されることなく含まれていました
言い換えると、
「考える我」は、円とか線とか点とか円周率のような数字とか虚数とか、そういう数学的実体と同じ「イデア世界」のなかに同居していました。
デカルトは、
①「物質世界」と「精神世界」を分離する
と同時に、
②「イデア世界」と「精神世界」を分離する。
という作業をしました。
あくまで、デカルト哲学の「定理」は「精神世界」ただひとつなので、そこから、上記の①と②の証明をしていったのですが、
②「イデア世界」と「精神世界」を分離する。
については少し説明が必要でしょう。
デカルトは、①「物質世界」と「精神世界」を分離することをした後、
「神の存在証明」に取り掛かります。
ぶっちゃけ、
「考える我」という公理
「精神世界」という定理
だけでは、なんというか、「ただそれだけ」で何の体系もなしません。
 
「平面上には絶対に交わらない2本の線(平行線)を引くことができます。」
という公理
「三角形の内角の和は、180度である!」
という定理
を出したら、今度はこの定理を利用して、いろいろ演繹していって
「ユークリッドの幾何学」という理論体系を構築しないと
なんの実用性もない宣言に終わってしまいます。
もともと理論構築する土台整備の目的で方法的懐疑をもって公理の選定したんですね。
デカルトのいう「神の存在証明」とは何のことはない、
プラトンのいう「イデア世界」の存在証明です。
プラトンの「イデア世界」は、
デカルト哲学の公理を模索するための方法的懐疑によって一旦、完全否定されてしまったわけですが、今や
「精神世界」という確固たる定理の基盤を獲得したので、今度はそこから演繹して理論構築していくのです。
デカルトが、「神の存在証明」をするときに考えたのは、こういう理屈です。
今や「精神世界」という疑いようのない正しい、確固たる定理がある。
でも「精神世界」って正しいけど、なんでそもそもこんなものが存在するのだろう?
「精神世界」ってのは存在する。ここ絶対間違いない。
方法的懐疑で徹底的に検証した。「考える我」という公理は間違いない。
「精神世界」の存在という定理は間違いない。
「精神世界」ってのは存在する、ってじゃあいったい「どこに」存在するんだ?
それにこの「考える我」っていうのは、「無限」やら「円」やら「点」やらいろいろ考えているわけだけど、この観念っていうのは、そもそもどっから来たの?
「考える我」は「無限」を考えきれるか?
ちょっと試してみよう。
「考える我」として「無限」がどんなものか想像してみるか・・・
・・・絶対に無理だな。
「考える我」は「無限」なんてものはイメージしきれない。
やってみてよくわかったが、「考える我」は「無限」の能力なんて備わっていない、「有限」な存在なんだ。
自分が有限な存在だなんて今更だ、よくわかってるじゃないか。
これは、デカルトのただの言葉遊びに過ぎないと思う人がいるかもしれません。
違います。このデカルトの思考の理路は論理的に正しいです。
計算とは何か?
それから、プラトン哲学でイデアを説明したときに、
円周率の話をしました。
計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開することです。
コンピュータとは、数学世界の数学的事実を物質世界に変換・転換する特別なマシンです。
実際、コンピュータっていうのは、数学世界と物質世界という2つの世界の境界を橋渡しする特殊なマシンなんですね。
あと、ついでに付け加えておくと、「暗算」する、あなたの脳も数学世界と物質世界という2つの世界の境界を橋渡しする特殊なマシンなんですよ。
.
円周率というのも学校で習いました。円の直径と周囲の長さの比率です。
円周率というのは、多分知っていると思いますが、

3.14159265358979323846264338327950288

と、無限に桁数が続いており、数値を全部書き表すことはできません。そして計算もしきれません。ずっと数値が続くので、永遠に計算するしかない。
しかし、円周率っていうのは「正確に存在」します。
「円の直径と周囲の長さの比率」ですよね。
数値で書き表すことは無理なら、記号を決めてやれば良い。

π

という記号で円周率を表すことが数学の習わしになっています。
これは「正確な円周率」です。
こういう

π

っていう正確な数学的事実というのは、プラトンのいう「イデア」です。
-
円周率
3.14159265358979323846264338327950288

は、無限に桁数が続いており、数値を全部書き表すことはできません。そして計算もしきれません。ずっと数値が続くので、永遠に計算するしかない。
円周率は計算不能です。
コンピュータは円周率を「すべて」計算できません。
暗算できるあなたの脳も数学世界と物質世界という2つの世界の境界を橋渡しする特殊なマシン、コンピュータです。
脳は、円の直径と周囲の長さの比率 π という概念は理解できても、円周率という無限に続く数字を計算し切る事は不可能です。円周率の桁は無限に続いており、これは数学的事実として厳然としてありますが、その無限に続く桁をすべてまるごと頭で想像するのは絶対に無理です。
つまり、世の中には円周率、無限といった計算不能の数学的事実がころがっており、それはけして我々人間の脳というコンピュータの中には収まっていないのです。計算不能なのだから。有限なリソースしかない物質に無限を展開するのは土台無理な話なのです。
デカルトはこういったことを考えていました。
「考える我」が有限ってことは、「精神世界」ってのも有限だ。
有限な「精神世界」には、どうがんばっても「無限」なんてものは収まりきらない。イメージしきれないんだから。
つまり「無限」というものは、「精神世界」の中には存在し得ないんだなあ。
おいおい、じゃあこの「無限」という代物はいったいどこから来たんだ?
「精神世界」単独で自己完結しているわけではなく、「精神世界」の外にまだ別の世界が広がっている!
「精神世界」の外に「別の世界」があってそこに「精神世界」が存在するのか?
「精神世界」とはまた別のところに「別の世界」があり、そこから「精神世界」が生まれてくるのか?
そこは言葉の問題に過ぎないかもしれないけど、
とにかく「精神世界」とは「別の世界」が存在する。
それは「精神世界」を生み出せるほど、無限も含むほど完璧な世界だ。
「無限」も「円」も「点」も全部そこに揃っている完璧な存在だ。
我々はその「完璧な存在」のことを何て呼ぶだろう?
この言葉も「精神世界」がいろいろ考える観念としてよく知っている!
「神」だ!
はい、神の存在証明おわり。
かくしてデカルトは神の存在証明に成功します。
繰り返しますが、ぶっちゃけこの抽象的観念を真理の実体と考えるのは、プラトン哲学の「イデア世界」の存在の説明の仕方とまったく同じです。
唯一違うのは、
  • プラトン哲学は、「精神世界」を「イデア世界」の中に含ませてごちゃまぜにしていたことにたいして、
  • デカルト哲学は、方法的懐疑により「考える我」という公理とし、「精神世界」という定理を出発点として、それとは別の「イデア世界」=「神の存在」を論理的に理論体系の一部として導出してしまったことです。
そして繰り返しますが、デカルトはこの作業をまったくのゼロから100%オリジナルの方法でやってしまいました。超合理的に。
①「物質世界」と「精神世界」を分離する
と同時に、
②「イデア世界」と「精神世界」を分離する。
さて、②「イデア世界」と「精神世界」を分離する。
っていうのは、無限だの有限だのイデアだのやる抽象的な思考で、デカルトみたいな天才にとっては大丈夫なんですが、一般の人らにとっては、なかなかついていけない思考です。
これは当時の哲学者にとっても同じで、デカルトが本質的にどういう作業をやったのか理解できない哲学者から批判を浴びます。
もちろん、デカルトが存在証明した「神」とは、プラトン哲学の「イデア世界」のことなので、キリスト教の「神」のことではありません。このことでも当時の社会では、異論はあったでしょう。
一方で、①「物質世界」と「精神世界」を分離する
っていうのは、かなりわかりやすいです。
デカルトの方法的懐疑による公理からの演繹というアクロバティックな理論展開の結論ではあるのですが、これはまあ、
  • 宗教、スピリチャル論の「精神世界」 
    考えるな!感じろ!信じろ! 理性を抑制
  • デカルトの方法的懐疑の「精神世界」
    考えろ! 感じるな!疑え! 理性を発揮
の違いだけであり、
素朴な感覚として目の前に広がる「物質世界」と、
素朴な感覚として認識する自分の「精神世界」の存在は、
どんな素朴な人だって存在自体はデカルト哲学と共有できるわけです。
だからこっちのほうは、
①「物質世界」と「精神世界」を分離する

デカルトによる、物質と精神の二元論として世の中に浸透します。
②「イデア世界」と「精神世界」を分離する。
のデカルト哲学の神≠キリスト教の神の部分は、当然同意できないし、理解もできないので、こっちは放置しておいて、
あくまで「神」=キリスト教の神として、
物質と精神の二元論ならば、何ら問題ありません。
デカルト哲学の全体としては①と②をあわせた、
「物質世界」「精神世界」「イデア世界」の3つの世界があります。
物質と精神とイデアの三元論なのです。
しかし、②は世間で理解されず無視されるし、
デカルト自身も悪く、「イデア世界」とプラトン哲学と結びけて論じることはなく、「神の存在証明」とか、これはもう当時のキリスト教社会の知識人の限界だったんでしょうが「神」=「イデア世界」だけ別格にしてしまったので、その後延々と
物質と精神の二元論は注目されます。
みんな、「神」のことで心がいっぱいだったんですね。
神とは安らぎであり、
神とは学問であり、
神とは真理の探求への最終回答であり、
神とは道徳、社会規範であり、
神とは法律であり、
神とは政治であり権力であり、
神とは名誉と名声であり、
神とは自己実現だったのです。
デカルトがいい加減に放置した神のことについては、デカルトの後継者のスピノザでガチ議論の対象になります。
物質と精神の二元論については、現代でも
心身問題として論じられます。
心身問題(しんしんもんだい、英語:Mind–body problem)とは哲学の伝統的な問題の一つで、人間の心と体の関係についての考察である。この問題はプラトンの「霊―肉二元論」にその起源を求めることも可能ではあるが、デカルトの『情念論』(1649年)にて、いわゆる心身二元論を提示したことが心身問題にとって大きなモメントとなった。現在では心身問題は、認知科学・神経科学・理論物理学・コンピューターサイエンスといった科学的な知識を前提とした形で語られている。そうした科学的な立場からの議論は、哲学の一分科である心の哲学を中心に行われている。
心の哲学(こころのてつがく、英語: philosophy of mind)は、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基本的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。
心身問題とは、心と体の状態との間の関係[1] 、つまり一般的に非物質的であると考えられている心というものが、どうして物質的な肉体に影響を与えることができるのか、そしてまたその逆もいかに可能なのか、を説明しようとする問題である。
われわれの知覚経験は外界からどんな刺激が様々な感覚器にやって来るかに応じて決まる。つまりこれらの刺激が原因になって、われわれの心の状態に変化がもたらされ、最終的にはわれわれが快不快の感覚を感じることになる[2]。あるいはまた、あるひとの命題表明(propositional attitude)すなわち信念や願望は、どのようにしてその人のニューロンを刺激し、筋肉をただしい仕方で収縮させる原因になるのだろうか。
こうした問いは、遅くともデカルトの時代から認識論者や心の哲学者たちが延々と検討してきた難問なのである[3]。
「心身問題に対するアプローチは二元論と一元論に分けられる」と考える人もいる。
二元論は何らかの意味で体と心を別のものとして考える立場で、プラトン[4]アリストテレス[5][6][7] サーンキヤ学派やヨーガ学派などのヒンドゥー教の考えにも見られる[8]。二元論を最も明確に形式化のはルネ・デカルトである[3]。
デカルトは実体二元論(Substance dualism)の立場から、心は物質とは独立して存在する実体だと主張した。
こうした実体二元論と対比させられるのが性質二元論(Property dualism)である。性質二元論では、心的世界は脳から創発する現象であると考える。つまり心的世界自体は物理法則に還元することはできないが、かといって脳と独立して存在する別の実体であるとは考えない[9]。**
他方、一元論は、心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方である。西洋哲学の歴史においてこの考えを最初に提唱したのは紀元前5世紀の哲学者パルメニデスであり、この考えは17世紀の合理主義哲学者スピノザによっても支持された[10]。
デカルトの功績は、あくまで合理的手法をもって、プラトン哲学をつきぬけてプラトンがごっちゃにしていた「イデア界」から分離させる格好で、「精神世界」の存在を内外に知らしめたことです。
「物質世界」「精神世界」「イデア世界」の3つの世界というパーツを全部そろえた事にあります。
ただし、「神」は別格据え置きで、「物質世界」「精神世界」の二元論としてしまったことで、その後いくらやっても、この二元論の問題が解決できませんでした。はい、デカルトみたいな天才でも解決できない、ってことは間違っているからですね。
こうした問題をひきうけたのがスピノザでした。


量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説02 に続きます。

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